最果ての地で

みなみしまばら市の秘境、空照洞穴(別名:行基洞)

以前ブログで紹介した、西有家八十八ヶ所霊場の第四十四番札所であるその洞窟は、八十八ヶ所巡りの衰退によって忘れ去られた場所となってしまいました。

今回は、その神秘的な場所を皆様に知っていただこうと思い、この空照洞穴について書こうと思います。

八十八ヶ所巡りは、今から約25年程前に無くなってしまいました。

盛んだった頃はマイクロバスを貸し切り、白装束を着た行者さん達が2日間かけて巡っていたそうです。現在でも、灘地区の方が旧暦の21日に毎月一番札所である太子堂でお参りをされていますので、ご興味のある方は一度訪れて見てください。

その方達に話を伺っても、正確な場所の説明は難しく「一切経の滝」から獣道を下り、ある場所を右に登る。また、別の方は大きな岩が登る場所の入り口だと教えていただき、探し出すのには、本当に色々な方のお力をお借りしました。

今回、ブログ用に写真を撮り直そうと一人そのお堂を目指しましたが先日の台風の影響で倒木が激しく、全く道がわかりにくい状況に変化しておりました。

一切経の滝に到着すると、ある場所から獣道に入ります。その先は本当に危険な場所が多くありますので、入り口の写真などは伏せさせていただきたいと思います。

道なき道を約20分程。(上記写真のような)その途中には、一切経の滝から流れる川があり、その流れが本当に美しくぼーっと何も考えない休憩を幾度か挟みながら向かいます。

 

その後、あるポイントから斜面を右側に登るのですが、前記した目標物の「大きな岩」というのは非常にわかりにくい為、向かわれる方は注意が必要です。

急な傾斜を登ること約15分程。

巨大な岩壁の中に突如、異界への入り口に続く階段が現れます。

(是非拡大してご覧ください。)

作られたのは何百年前か。全ての段に苔が生え、岩場には木の根が張り巡らされています。この日は山全体に少しだけ靄がかかりその神秘性がより際立って見えました。

昔の人はどのような思いで、この洞窟への階段を作ったのだろうと。そう考えながら、一段づつ登っていきます。

午前中の優しい光が、洞窟の上に空いた穴から差し込み、普段は真っ暗なお洞が明るく爽やかな雰囲気がありました。

何メートルあるのか、かなり高い天井と大人が何人も入れる空間。本当に自然にできたとは思えない場所です。

お洞の奥には、お大師様と雲仙の開祖でこの洞窟の名前にもなっている、空照さん(行基)の像が祀られています。また、この空間とは別に、空照さんが修行の際に寝ていたという部屋もあり、その場所にもお地蔵様が3体収められております。

(光を受けたお大師様の像)

静寂という言葉が本当に似合う空間。水滴の落ちる音と、風の音以外は何も聞こえません。

今から何年前か、

空照さんは一人、この最果ての地で何を思い日々を過ごされていたのだろう。

洞窟から外を眺めると、季節だけがその時の流れを教えてくれたのではないでしょうか。

そんな場所が、みなみしまばらには有ります。

 

 

フロンティアへの誘い

南島原には、まだまだ人があまり踏み入っていない場所があります。以前投稿した「油地蔵」や「三連の滝」などもそれに当たります。

今回は、以前「油地蔵」を紹介していただいた方からの情報をもとに、南島原市の山奥にあるという、巨大な石が積み上げられている場所を探しに向かいました。一人では非常に危険な為、お世話になっている床屋さんと一緒にフロンティア探しに向かいました。

山奥にあるとある神社から、深い山に入っていきます。途中倒木などが多く、車では進めなくなった為、1km程歩いて登ると写真のような苔むした場所が現れはじめます。とても長い時間をかけて作られたアートみたいで、自然っていいなと感じます。

個人的には、この斜めな感じの石(なんという石かわかりませんが・・・。)に苔が生えてるかのがグッときます。

放置されっぱなしの山道を進むこと15分程、遠くに・・・。なにやら巨大なタワーのようなものが、、2人でかなり興奮しながらズンズンと森の中へ入っていきます。

目算ですが、ゆうに30m以上の高さがある石のタワーに向けて、進んでいきます。ところどころに巨大な石がゴロゴロし始めるのですが、写真ではわかりにくい為、床屋さんと比較写真をいくつか撮らせていただきました。

かなり遠くにあるのですが、近くに感じるほど大きい石。一番上にある石は絶妙なバランスで乗っているように見えます。地震とかきたらコロンと落ちそうな雰囲気。でもこんなに大きい石が崩れたらと考えると、めちゃくちゃ怖いです。。

ようやく、その石の土台までたどり着きました。一番下になっている石は非常に広く、そこから2〜3段石が積み上げられています。どうしても登ってみたくなりましたので、なんとか回り込めないかと、さらに急な山道を登ります。

近くで見るとやっぱり怖いくらいなバランスで乗っかっています。できるだけ慎重に。。脇を通りようやくたどり着いた一番上の岩。

何度も言って申し訳ないですが、とっても大きい!!!この角度から見ると手前の木に支えられてる様にも見えます。下から見るより明らかに大きく、ちょっと神秘的です。御神体になってもおかしくないなあと思ったり。

さらに近づきます。

どんな感じに乗ってるのかなと。

こんだけ!!!???あんなにでかい石がわずかこれだけしか乗ってない!横で支えてる木の役割大事ですね。個人的には、八十八ヶ所巡りをしていますので、この場所にお大師様を祀って、南島原秘境のお大師様ポイントの一つに加えたい!30mもの積み石の下にあるお大師様・・・ご利益あります。

また、この辺りにはこの様な巨大な岩が点在しており、とってもパワーあふれる場所です。長い時間をかけて大きな岩になった後、また長い時間をかけてゆっくりと圧力がかかり、亀裂が入り、崩れ、何千年もかけて今の景色を作っているのだと考えると、自然の力の素晴らしさと、美しさを感じます。

おそらくこの大きな岩も、元は1つの大きな岩だったんだろうと思います。それが途方も無く長い時間をかけてゆっくりと割れ、この様な不思議な景色を生み出しているんでしょうね。

まだまだフロンティアだらけのみなみしまばら。これからも冒険は続きます!!

 

 

川も楽しい、みなみしまばら。

最近、釣りばかりをしている為ほとんど魚を買うことがありません。

近ごろ南島原では、キジハタや大型のキスがたくさん釣れるのでお刺身や天ぷらにしてお酒のお供として楽しんでいます。。

と、ここまでは普通の釣り好きの日記なのですが、ここは南島原。海だけじゃないぞ、というところも紹介したいと思います。今回は、「川で小魚を釣る」子供でも楽しく釣りが出来て、しかもお手頃な、ハヤ釣り。

今回は、南島原市西有家町の上流にある川に来て見ました。とても綺麗なところなのですが、今回は雨の影響で濁りがあります。普通の川なのですが、とにかく景色が綺麗です。

(本来は清流)

早速仕掛けを紹介します。

準備するもの:細い竹の先っぽ・釣り用糸・針・浮き。

餌:みそ、小麦粉、酒を大さじ1づつコネた練り餌。

こんな感じで、ちなみに練り餌は大さじ1づつでも3〜4時間近く釣りが出来ます。家に有るもので簡単にできるのでお得ですね。

川の中に入って釣りをしても、冷たくて気持ちいいです。ツンツンと小魚が餌を食べる度にウキが沈む感じがたまらなく楽しいんです。ちなみに、流れが有る場合は丸いウキを使います。流れがない場合は、棒ウキの方があたりが取りやすいという特徴があります。

写真の赤い点が、ウキ。しばらく待つと、グン!っとウキが沈みます。この時、ウキが沈んですぐに合わせると逃げられるので、ちょっと我慢するのかコツらしい。その我慢に耐えられた時に、

ハヤが釣れます。小さい魚ですけど、とても綺麗ですよね。先日の感じだと多少流れの有る場所が食いつきがいい感じでがしましたので、是非ご参考にしてください。

スナフキンさんも、居ましたのでこの辺りは釣れるみたい。スナフキンさんすごくハヤ釣りが上手で、12匹釣り上げたうち、9匹はスナフキンさんの釣果でした。

ハヤは、不味いというイメージが有るようですが、唐揚げや南蛮漬けにするととても美味しいという話をきき、唐揚げにして見ました!

これが、冗談じゃなく美味しい。。もしかしたら、海の小魚よりも癖が少ないかも?小魚なので骨ごと食べれて素晴らしいです。

ハヤは、昔からの漁法に「ハヤ取り瓶」というものがあります。これはガラスの瓶のようなものに味噌を付けて川に沈めて待ちます。すると10分もしないうちに大量のハヤが取れますが、現在長崎県の多くの川では禁止となって居ますので、ご注意ください。

さて、自然豊かな南島原。海と山がとっても印象的な場所ですが、川も清流が多くてとても気持ちいいんです。ゆっくりと川の音を聴きながら釣り糸を垂らしてると、色んなことが流されて行くみたいで癒されますよ。

それではまた、次のブログでお会いしましょう。

 

 

秋山登山のススメ

久しぶりにブログを書きました!

空の高さが、いよいよ本格的な秋の感じになってきました。去年の秋はまだとても暑かったと記憶していますが、なんか今年寒くなるのが早い気がします。

本日は、地元の美しい山に登ろう!ということで、先日小田原さんと行きました雲仙岳のことを書きたいと思います。もうすでに有名な山で、最近は観光客の方も沢山いらっしゃってます。

多くの方が、雲仙岳の名峰「普賢岳」に登られるのですが、今回は私の好きな「国見岳」をご紹介します。地元の方でも登られたことの無いという人もいるのでは無いでしょうか。

 

もっとも簡単なルートは、まずロープウェイで妙見岳へ。久しぶりにロープウェイに乗りましたが、なかなか楽しいですね。徒歩で登ると30分の行程もロープウェイなら3分。ものすごく便利。ロープウェイから眺める景色も美しいのでオススメです。

こんな感じで。岩壁がとても悠々しくて爽快な気分になります。

妙見岳から、妙見神社を通り国見別れに進みます。

登山道は比較的歩きやすく木々もさほど高く無い為、海までの景色がとても綺麗に見えます。雲仙は日本で唯一の「紅葉樹林帯」を有する紅葉の名所。シーズンになると多くの人で賑わいますが、個人的には紅葉真っ只中より、今くらいの季節の方が、山としては好きなんです。夏の名残の緑と、ススキの穂、そして紅葉し始めた樹木とのコントラストは本当に美しいと感じます。

ちょっと話はそれますが、私は地元に戻る前に「Timtam」という山岳学校で登山の勉強をしていました。松浦さんという山の神様のような方に教えていただく日本ならではの山岳技術は、芸術に近いものがあります。冬山でのアイゼンの使用方法。ロープワークで怪我人を救出する方法や、ピッケルの使い方。ロッククライミングの基礎など、山に詳しい先輩方に着いて色々な山に登らせていただきました。

印象的だった山というか、山小屋は福島県にある「黒金小屋」安達太良山に登る際の拠点になる小屋なのです。写真はこちら。

写真中央にあるのがそれです。この小屋、とっても人気が高く予約するのはなかなか大変。その理由は天然温泉!!雪山の小屋にお風呂があることでさえ珍しいのに、温泉とは本当に天国です。

登山が好きな人は一度訪れてみては。(この小屋で、島原半島一周マラソンを一緒に走った小針さんは酔っ払いすぎて指を怪我するという災難に見舞われました)

かなり話はそれてしまいましたが、私は登山が好きなのです。

そんな私のオススメの「国見岳」一番の特徴は鎖場。山肌にむき出しになった岩場を登るのですが、ここからの景色がとっても綺麗なんです。

この写真は、小田原さん撮影ですが、本当に美しい。こんな景色があるという事。知らない人は損しています。この鎖場をすぎたら国見岳の頂上です。

山頂はあまり広くはありませんが、そこからの景色は格別。

もう福岡まで見えてるんじゃ無いかと思うほどの綺麗さ。疲れも吹き飛びます。そして一番の見所は山頂からの・・・。

平成新山ですね。手前の山は普賢岳の山頂なので、いかに平成新山が大きいかわかります。平成新山は少し離れた位置から見るのがオススメですが、その中でも国見岳山頂は穴場の一つです。ちなみに、九千部岳の山頂からが一番綺麗という人もいます。また、たくさん山に登りましたが、山頂から海がこんなに見える場所は出会ったことがありません。

今回は、ある撮影のロケハンという形で国見岳に登りました。とても風が気持ちの良い日でした。

間も無く秋も本番。雲仙の景色も日に日に変わっています。久しぶりに登山に出かけられてはいかがでしょうか。とっても清々しい気持ちにきっとなりますよ!!

では、次のブログでお会いしましょう!!

帰郷のきっかけとなった事

まだ私が東京にいた頃。

ほぼ毎日のように飲みに行っていた、元同僚の小針さん。今は、得意の中国語と英語を活かした国際的な仕事をしているらしい。本当によく2人で飲みに行っていた事を思い出します。

そんなある日、どこの飲み屋さんだったか覚えていないのだが、地元の為になる仕事がしたいと、小針さんと相談していました。

「小田さんの地元ってどんなとこなの?九州行った事なくて」

そんな風に小針さんに言われたのをきっかけに、南島原へ遊びに行こうと言うことになりました。でも、ただ単純に遊びに行っても面白くないので何かやろうと言うことになり。何が良いかと考えていたところ。

西有家小学校在学中の嫌な思い出「島原半島一周マラソン」

の話をしてしまい、実際に走ったらどのくらいで走れるのか試そう!と言うことに酔った勢いで決めました。

その日から、私は自転車トレーニングと、ランニング。小針さんは長時間走り続ける体を作り、いよいよ島原半島へ。

AM5:00

南島原消防署前をスタート。私は自転車でのサポート。ランナーは小針さん。目標は11時間以内でのゴールを掲げました。

途中、歌を歌ったり、のんびりと話をしたりしながらあっとゆうまに加津佐まで走り、夜明けを迎えました。

この時点ですごいなーと感じていたのが、小針さんの走るペース。とても100kmをこのペースで走るとは思えない、通常のスピードよりもかなり早いものでした。

それにしても、この半島の朝日の美しさは格別。本当に美しい。

加津佐を過ぎても一度も休憩を挟まず、順調に南串のロックシェッドへ。今回の危険ポイントの1番にあげていたところでした。後ろから迫ってくるトラックの音や、車の音が本当に恐ろしかったのを覚えています。

実を言うと、この島原半島100kmを走るとFBで発表した時に、当時は面識のなかった、池田製麺工場の池田さんから

「同じ日に100kmマラソンを走る人がいるよ。」

と、メッセンジャーが。その人が、現在一緒にラジオでお世話になっている、Mr,サイコの小田原さん。本当に偶然同じ日を計画していました。私たちペアはAM5:00スタート。小田原さん達はPM20:00スタート。何やら運命を感じる。

その小田原さんと、スタート前に色々なアドバイスをいただき、事前に危険ポイントを知っていた為、このロックシェッドも十分な準備をすることができました。本当にありがたかったです。

そして、いよいよ半島の西側へ・・・。

続きを読む 帰郷のきっかけとなった事

みなみしまばらを歩こう

皆様こんにちは。

近頃は、色々なみなみしまばらを巡っておりますが、今回は1ヶ所に限らず、ちょっと良いなと思った所を紹介したいと思います。

先ず、ご紹介したいのは南島原の秘境中の秘境にある、その名も「油地蔵」。以前紹介した、吉恒神社に行った際にお世話になった、板山さんにお電話を頂き、連れて行っていただく事に。

ルートは多分書いても全くわからないと思いますので、あえて書きませんが、上の写真を見て頂ければわかると思いますが、全く道などありません。ひたすら藪の中を進み続けます。

しばらく歩くと、古い古い道が現れます。大昔には、島原の方へ抜ける重要な道だったようで、今も少しだけ残る道の脇には当時から目印で有ったような巨大な石などが点在し、長い時を感じさせてくれます。そんな山道を探しながら歩いていくと突然。。

こんな言い方は良くないのかもしれませんが、その光景は少し異常に感じるほど。前記したように、そこに通じる道は一切無く、本当に突然現れるのです。ルートを案内していただいた板山さんも、島原半島中の山を熟知している中村さんも、このお地蔵さんを見つけるのに、実に3年半という長い時間が掛ったそうです。

その昔、島原のお殿様がこの道を通っている時に、この付近に湧水が湧いていたそうです。

「この水はどこに通じているのじゃ?」

そう思ったお殿様は、その湧水に油を流し、家来はその油を必死に追いかけて、どこに流れ着くのかを調べたそう。それ以来このお地蔵様を「油地蔵」と呼んでいるそうです。

階段の左には、「所有布津村・〇〇」そして人名が書かれています。

右には「南高木郡・有家村」の文字。かなりロマンを感じます。そして、この油地蔵の一番のミステリーは、次の写真。

おそらく、お分かり頂けないと思いますので、解説を。島原半島の山道に最も詳しいと言われる人達が、3年半もの歳月をかけて見つけたこの油地蔵。未だにそのルートは無く、かなり深い雑木林に阻まれており、また大雨などの影響でそこにたどり着くにはかなり困難な状況です。しかし、この写真。赤い前掛け・少しみえる花シバ。本当に綺麗です。

ここを最初に発見したときから、この様な状況だったそうで、誰かが定期的にこの山深い地を訪れ管理をされているのでしょう。昔、山男から聞いた剣岳初登頂の事を思い出します。

”初登頂を果たした時、その頂上には数百年前と思われる狼煙の後と鉾が残されていた。”

むかしの人はすごすぎる・・・。

続いては、海の近くを歩いていたら偶然見つけたところを。

続きを読む みなみしまばらを歩こう

キリシタンの痕跡と、秘境を求めて

先日のこと、FMひまわりに出演させていただいた際に、こんな話をしました。

西有家町の塔ノ坂という集落に、ある位置から見ると十字架に見える神社がある。(ロマン溢れすぎですよね)

この神社を奥様と探したのですが、全く見つけることができず、また塔ノ坂の方に伺ったところ、「塔ノ坂に神社はありませんよ」と。

諦め掛けていたところ、FMひまわりさんから連絡があり、その神社をご存知の方がいらっしゃるとのこと。

早速、近所にあるコレジヨホールに会いに行きました。そこにはすでに3名の紳士の方がお集まりで、緊張しながらお話を伺いました。その話は、地元に住んでいる自分でもびっくりするような知らない事だらけで。。

①塔ノ坂には確かにその神社があります。

②巨石群の中に、岩のくぼみに祀られている神社がある。

③鮎帰りの滝のさらに上流3km程のところに、美しい滝がある

この①〜③の文字を読んだだけで、冒険心を死ぬほどくすぐられます!

早速、塔ノ坂の神社へ。

行って見るとわかります。地元の人が神社は無いと行った意味が。そこは、自然歩道の途中にある階段も埋もれたような場所で、鳥居や社などが無いので、普通神社とは思わないですね。

早速十字架探しに

枯葉に埋もれた階段を登った先に、小さな祠が。ここが吉恒神社(ヨシの上の棒が短い文字)です。長い間人が訪れていないような雰囲気がありますが、割と綺麗な場所でした。60年程前はこの神社の中で、相撲大会が行われるなど大切にされていたようです。

少し変わった形をしている石像、入り口の看板には「ほうそうの神様」と書かれておりましたので、様々な病気を守ってくれていたのでしょう。お話をお伺いすると、この石像の額の部分に十字架があるとのこと。(私は社が十字架に見えると思っておりました)

近くで見ても、その十字架は確認できませんでした。

ただ。。。

ライトをある方向から当てると・・・。

確かに額には十字架の様なものが浮かびます!写真で撮影することはできませんでしたので、ご興味のある方は是非現地に行くことをオススメします。もしかしたら月夜に訪れるとはっきり見えるのかもしれない。とのお話も伺いました。(あくまでも個人的な見解です。この地域にキリスト教の歴史があったという史実は確認されていません。)

もう一つ気になったのが、この石像が持っている猿の首の様なもの。跨っているのか、持っているのかわかりませんが、初めてみる形でとっても気になります。

続いて、②の巨石群の神社へ。

続きを読む キリシタンの痕跡と、秘境を求めて

ノスタルジック南島原

世間はお盆休みに入り、南島原にも帰省している方達の賑やかな声が聞こえてきています。

私は幼馴染が今年は帰省しないということで、その家のご両親と一緒にお酒を楽しみながらのおやすみスタート。私が近頃、南島原をうろうろとしているということをご存知だったようで、南有馬にある地蔵群を紹介していただきました。

とても気になり翌日即出発。

南有馬、古園にある「古園地蔵群」明治の頃に行われた廃仏毀釈によって、首を落とされてこの地域に埋められていた物が道路工事の際に掘り起こされ、地域の人によってこのように祀られています。全てのお地蔵さまの首に補修された跡がありちょっと痛々しい印象もありますが、お堂の中はとても綺麗にされており、地域信仰の深さを感じます。

詳しくは、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を調べていただければと思いますが、このように立派に掘られているお地蔵様を破壊し土に埋めるという。。ちょっと今では考えられない事が行われていたのです。

また、この地蔵堂の周りはとても長閑な風景が広がり本当に散歩するだけで心が癒されます。もし南島原ロングトレイルを企画したとするならば、絶対にコースに入れようと思います。ただ、今回写真を撮るのを忘れるという凡ミス・・・。次回、必ず撮影しようと思います。

そして、この地蔵堂から少し登った所に、南島原の文化遺産があるのです。あんまり知られていないのが勿体無いので、紹介したいと思います。

「南有馬宝篋印塔群」きちんとした南島原の文化遺産で、本当に綺麗に残っています。

この宝篋印塔は、民家の中庭の先にあるため全く表からは見る事ができません。とても綺麗に管理されておりますが、こちらのご主人は「足が悪いので、きちんと管理することも限界」とおっしゃっていました。早めに対策を考えないと、いずれその姿を見る事はできなくなってしまいます。

そして、今回のメインイベント「原城歴史民俗資料館」への潜入です。

続きを読む ノスタルジック南島原

公開・西有家新四国八十八ヶ所分布図

みなさまおはよう御座います。

以前より報告をさせていただいております。西有家新四国八十八ヶ所霊場の分布図を公開いたします。

また、現在は記録用として、お大師さまの表情の撮影、奉納者名簿等を含め、再度作成中です。まだまだお時間がかかりますので、追って報告させていただきます。

絶対に守っていただきたい注意点としては、民家の中など参拝しにくい場所が多々御座います為、所有者様の許可をとってからお参りするようにお願いいたします。

コースの中には、山中を長距離歩く場合などがありますので、体力に自信の無い方は、しっかりとした計画を立ててから回りましょう。

持ち物としては、

・線香(1箱以上必要です)

・蝋燭

・マッチやライター等(蝋燭にひをつけるため)

・虫除けスプレー

お参りの方法は、般若心経を奉納する方法もありますが、ご存知ない方は「南無大師遍照金剛」と7回唱えるという方法がありますので、ご自分にあったものを選んでください。

西有家八十八ヶ所霊場は、地域の人にとってとても大事な場所です。マナーを守って静かにお参りしてください。

全て車で順調に回ったとしても丸二日ほどかかりますが、地域の方と話をしながら回るお遍路がとても楽しいので、十分なお時間を持っておいた方が良いと思います。

少しずつ四季を通じて巡ると、島原半島の綺麗さを再発見できるのでオススメです。

西有家新四国八十八ヶ所霊場・番外編(空照立像・一夜大師)

7月も終わりに近づき、「西有家新四国八十八ヶ所霊場」の秘境、一夜大師と空照立像の探索に向かいました。

場所はなんとなく分かっていたのですが、連日の雨のお陰でなかなか山に入ることが出来ず、結局7月の最終週となってしまいました。

空照立像や一夜大師、行かれたことありますか?高岩山登山道の途中から獣道に入り、500m程見岳方面へ降りてゆきます。

雨のせいか、かなり道は荒れています。こちらは空照立像・足元には「昭和八年 見岳名中」と刻まれております。昭和八年にどんな方達がどうやって運んで来られたのか、その当時を知る方はおそらくもうおられないと思うのですが、どうやって作られたか、知っている人がいたら、直接お話を伺って見たいとなと思っています。

この付近は、人が定期的に来られているのか草なども刈り取られなんとなく管理が行き届いている印象がありました。

お顔は、結構現代風なんだなーと、こういう像はほとんど髪の毛の表現がないのですが、空照立像さんは坊主。なんかかっこいいです。そして手に持っている杖が新しい。やっぱり誰かちゃんと管理されているんですね。

こちらが、像の下に刻まれた文字。下の方が苔に覆われていて読めませんでした。

この立像より、少し上に戻ったところに、分かりにくいですが、分岐があります。赤いテープとブルーのテープが混在しているデボ部分を見失わないように歩いてください。

しばらく歩くと、とても巨大な岩が。。多分これが「びわ口」と呼ばれるところだと思います。この岩の下に一夜大師が収められている!早速近づいてみると、右側が思いっきり大雨の影響で崩れてしまっていて非常に危険。ゆっくり近づいている途中、私の後ろから

「わーー!すごーーい!」

と、妻の声。

みなさん、何がすごいか分かりますか?↓この写真

これに気がついた人は、お大師様巡りをやりなさいということです。

では正解を。

 

実は、私は勝手に一夜大師と普通のお大師さまの像の大きさが同じくらいかと思っていまして、岩の割れ目から見えた時は、本当にびっくりしました。私の写真の腕が悪いので、その大きさがあまり分かりにくいと思いますが、この岩。ものすごく大きいのです!(ぜひ行ってください)

こちらが、以前ご紹介した空照洞穴と並んで西有家町の秘境と呼ばれる一夜大師像です。その昔、見岳の方がセメントと砂を担いで空照さんと共に山に登り、一夜の内に完成させた弘法大師の像です。

一夜で完成させる昔の人の根性・技術には本当に驚かされます。この一夜大師のお顔は、ちょっと目が可愛い感じで、個人的には非常に親近感が湧きました。(ちょっと片眉が上がっている感じが素敵です。)

「ふみしめて、のぼる御山の岩大師、慈悲の利益を残します」

と書かれた札が一緒に収められています。

高岩山という山は、宝原から簡単に登ることができ、遠足や簡単な山登りの場所として地元の方に親しまれている山です。

今回の登山のように、昔の人の考えや信仰に触れて登る高岩山は、また違った顔をみることが出来ます。一度お大師さまにお会いすることを目的に登って見られるのも良いかもしれません。

私は、東京にいる際、正月から雪山に登ったり岩登りをしたり、とても山が好きでした。その中で学んだことは、昔の人が歩いた登山道には必ず意味があるということです。それが、生活の為か信仰の為かというのは置いておいて、必ず意味があるという所が大事だと思っています。

インターネットなどの情報がなかった時代の人は、今の人よりもはるかに沢山の事を知っています。一人一人がしっかりとした道の意味を知っていたからこそ、地元を知り、伝える事が出来たのではないでしょうか。

今回の一夜大師・空照立像の訪問で「西有家新四国八十八ヶ所霊場」に関係する全てを回る事が出来ました。その道のりの中で、出会った人、見た事や聞いた事、その一つ一つの事柄が八十八ヶ所霊場巡りの持つ意味なのだと思いました。