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夏の日の午後

”今年の暑さは異常”

確か、一昨年あたりにも同じようなセリフを聞いていた覚えがある。

人に備わった便利な機能「物忘れ」

そのお陰で、経験したことが無いらしい「暑さ」に毎年のように出会うことが出来る。

それも、この「みなみしまばら」という場所の良いところかもしれない。

前浜海水浴場 SUP

来週はもう9月。朝夕感じる涼しさは、すぐそこまで秋が来ているという事を感じ取ることができる。

今年の夏は、たくさん水にさわった。

36年の思い出の中で、小学4年以来だろう。潜ったり泳いだり、川で遊んだりと、本当に子供の頃に戻った様だった。

プールでは潜水のみで16mという目標を立て、もともと苦手だった水泳を必死で練習した。バタ足を使わずにフィンをつけた様に泳ぐその感覚はよく使う表現だが、魚になった様な気分だった。

プールの底を無心になりながら泳ぎ、手が壁に触れた瞬間、水面に上げた顔は、おそらく最高の笑顔になっていたのだろう。

もう一つ、みなみしまばらで水といえば「滝」がある。

その中でも遠足で良く行っていた「戸ノ隅の滝

戸ノ隅の滝

何百回も見たことが有るのに、毎回なぜか感動してしまう。

その大きさと、神秘的な赤い色の川。その周りには苔が多く生え長い歳月をかけて出来た景色ということがわかる。

滝に近ずけばその水圧と水しぶきに体がよろめいてしまう。滝壺の濃いブルーは、この滝特有の深い色をしている。

戸ノ隅の滝

子供の時には気が付かなかったが、この滝はとてもカラフルだ。

龍の血で染まった赤い石と、苔むした岩肌の緑。鉄分の多い水なのに綺麗な深い青。

ずっと変わらない20年だったのだろうけど、何故気が付かなかったのだろうと不思議に思う。

そして、最近になって教えていただいた名も無き滝「三連滝」

なんども紹介している滝だが、行くたびに毎回表情が違う。

第一の滝

深い山の中に有るその滝は、三つで一つの滝になっている。この写真は第一の滝。日の当たるいい条件の日には本当に美しい青い色をしている。

第二の滝

比較的に小さく緩やかな第二の滝。水の流れる平らな岩肌の上にカメラを固定し撮影した。この位置からならば、ウェットスーツを着てキャニオニングの様な事をしても少々の怪我で済む気がする。

第三の滝

この第三の滝は、以前のブログでも何度か写真を紹介しているのだが、この日は流れも穏やかで陽の光が適度に入り、とても美しかった。

この名も無き滝「三連滝」は、梅雨の時期や夏の終わり頃の一定の期間でしか現在は見ることが出来ないらしい。

地元の人の話によると、昔は一年を通して水が流れていたそうだ。この滝の下流には、とても綺麗な川が流れているが、今はこの滝と同様、少しの間しか見ることが出来ない。

長い間全く変わっていない筈の「戸ノ隅の滝」

人の手によって変わってしまった「三連滝」

この二つのどちらも、人間の便利な「物忘れ」のお陰でいつまでも新鮮な気持ちで見ることができる。

ただ一つ、いつになったら変わらない事の大事さに気がつくのだろうとも思う。この二つの滝は、そのわかりやすい見本の様な気がする。

今のままにしておけば、いずれどちらかの滝は消えて無くなってしまうだろう。

感覚として感じることが出来ないほどの、ゆっくりとした変化。

それは、変わらないで欲しいと願う人の気持ちによって、その時間を止めることができる様な気がする。

夏の暑さの様に、毎年忘れてはいけない。

幻の青い滝

山道の、トワる喫茶店で。

冷たく透き通った空気が一瞬のうちに頭上を通り過ぎ、つい先ほどまで見ていた空の景色も、すぐに新しい記憶へと変わってしまう。

みなみしまばらにも本格的な冬がやってきた。

近頃は、みなみしまばらを撮影でまわる機会が多く、今まで知ることがなかった景色や場所など沢山の事柄に気がつくことができる。

そんな撮影の合間に偶然立ち寄った山道の喫茶店。その素晴らしさに、久しぶりに不思議な感覚にとらわれた。

必要以上に大きい「営業中」の看板。手書きで書かれた赤い文字は、時間の経過とともに掠れてしまったのだろう。

箒で店先を掃除する上品な女性に会釈をし店内へと入った。

正面には6名ほどが座ることのできるカウンターと、年季の入ったしかしとても綺麗に手入れのされたサイフォン。

かすかに聞こえるラジオからは、その場所に似つかわしくないポップな音楽が流れていた。久しぶりに訪れた客に合わせてくれているのだろうか。

そんなことを考えながら店の奥に目を向けると、そこには一瞬で心を奪われるほどの風景が広がっていた。

外観からは想像ができなかったレトロな空間。時代を感じさせる小さめの椅子と机。着席するとよく膝がぶつかってしまうが、それが何故か嬉しい。

1ページのみのメニューには、コーヒーやレモンスカッシュなどの喫茶店ならではの飲み物から、ホットサンドやトーストなどの軽食、カレーやハンバーグなどのしっかりとした食事も。

私たちはそれぞれ「チキンライス」と「スパゲティナポリタン」を注文した。

正直な話をすると、料理にはさほど期待していなかったのだが。

(写真はチキンライス)

カレーライスの皿に盛られたチキンライスとサラダとデザートのキウィ。福神漬けが何気に嬉しかった。一口食べてその本格的な味に驚いた。どこか洋食屋さんでしっかりと修行をされたのだろうと思う。ただケチャップで炒めたものではなく、何かソースのような酸味と香りがして、一瞬で食べてしまった。

個人的には、この先割れスプーンのデザインが気に入った。

(スパゲティナポリタン)

友人が注文したナポリタンも、とても綺麗で美味しそうだった。ちょっとしたトラブルがあり時間がかかってしまったが、かなり美味しかったらしく、すぐに無くなっていた。

食後に店側からのご好意でコーヒーをいただいた。このコーヒーも想像以上というのは失礼だが、本当に美味しかった。

店内のいたるところに、時代を感じさせてくれる食器や装飾が多く、この喫茶店が流行っていた頃の空気を感じさせてくれる。

その当時は今のようにインターネットなどを使って「オシャレ」を参考にすることが難しい。あくまでも想像だが、ご夫婦で話し合い、どうやったらお客様が喜んでくれる空間ができるのかを作り上げたのだろうと思う。そこに、片方の意見が少々強く出ていてもそれは大した問題では無く、そこには唯一無二の空間があるだけ。

最近の所謂「カフェ」は海外の話題のスタイルをそのまま使用していたり、デザインの流れに大きな変化が無いため、どうしても同じような空間になってしまっている気がする。

やはり人は一生懸命考えることで、自分の世界を表現すべきだと思う。そこには「何の為に」というメッセージが明確に現れるからだ。

この喫茶店に流れる空気や音、窓からの風景も料理の味も、お店の方の人柄も。その全てがこの素敵な時間の元になる。

久しぶりに、感じた不思議な感覚は、そうやって自然に生み出されたものなのだろう。

そんな場所が、みなみしまばらにはあります。

 

最果ての地で

みなみしまばら市の秘境、空照洞穴(別名:行基洞)

以前ブログで紹介した、西有家八十八ヶ所霊場の第四十四番札所であるその洞窟は、八十八ヶ所巡りの衰退によって忘れ去られた場所となってしまいました。

今回は、その神秘的な場所を皆様に知っていただこうと思い、この空照洞穴について書こうと思います。

八十八ヶ所巡りは、今から約25年程前に無くなってしまいました。

盛んだった頃はマイクロバスを貸し切り、白装束を着た行者さん達が2日間かけて巡っていたそうです。現在でも、灘地区の方が旧暦の21日に毎月一番札所である太子堂でお参りをされていますので、ご興味のある方は一度訪れて見てください。

その方達に話を伺っても、正確な場所の説明は難しく「一切経の滝」から獣道を下り、ある場所を右に登る。また、別の方は大きな岩が登る場所の入り口だと教えていただき、探し出すのには、本当に色々な方のお力をお借りしました。

今回、ブログ用に写真を撮り直そうと一人そのお堂を目指しましたが先日の台風の影響で倒木が激しく、全く道がわかりにくい状況に変化しておりました。

一切経の滝に到着すると、ある場所から獣道に入ります。その先は本当に危険な場所が多くありますので、入り口の写真などは伏せさせていただきたいと思います。

道なき道を約20分程。(上記写真のような)その途中には、一切経の滝から流れる川があり、その流れが本当に美しくぼーっと何も考えない休憩を幾度か挟みながら向かいます。

 

その後、あるポイントから斜面を右側に登るのですが、前記した目標物の「大きな岩」というのは非常にわかりにくい為、向かわれる方は注意が必要です。

急な傾斜を登ること約15分程。

巨大な岩壁の中に突如、異界への入り口に続く階段が現れます。

(是非拡大してご覧ください。)

作られたのは何百年前か。全ての段に苔が生え、岩場には木の根が張り巡らされています。この日は山全体に少しだけ靄がかかりその神秘性がより際立って見えました。

昔の人はどのような思いで、この洞窟への階段を作ったのだろうと。そう考えながら、一段づつ登っていきます。

午前中の優しい光が、洞窟の上に空いた穴から差し込み、普段は真っ暗なお洞が明るく爽やかな雰囲気がありました。

何メートルあるのか、かなり高い天井と大人が何人も入れる空間。本当に自然にできたとは思えない場所です。

お洞の奥には、お大師様と雲仙の開祖でこの洞窟の名前にもなっている、空照さん(行基)の像が祀られています。また、この空間とは別に、空照さんが修行の際に寝ていたという部屋もあり、その場所にもお地蔵様が3体収められております。

(光を受けたお大師様の像)

静寂という言葉が本当に似合う空間。水滴の落ちる音と、風の音以外は何も聞こえません。

今から何年前か、

空照さんは一人、この最果ての地で何を思い日々を過ごされていたのだろう。

洞窟から外を眺めると、季節だけがその時の流れを教えてくれたのではないでしょうか。

そんな場所が、みなみしまばらには有ります。