南島原の春は、朝焼けがとても美しい。

近頃は、朝のラジオ番組をやっている為、ちょうど朝日が昇る時間帯に海のそばを通るのだが、毎回港に立ち寄り朝日が昇るのを待ってからスタジオ入りする。ちょっとした時間だが、気持ちをリラックスさせる為の、自分にとっては大事な習慣になりつつある。

先日、ラジオ終わりでとある調べ物の為に「口之津民俗資料館」の森館長を訪ねた時のこと。南島原市加津佐町の越先という地域にある一夜大師の事を聞いた。

その日は、前日から弱い雨が降り続き山に入るには非常に危険な条件だったが、下見をかねて越先を目指した。

その場所は、東越先という道標から右に車を走らせた山間にあった。

「一夜大師水源の森」という大きな石碑の少し先、ひっそりとした小さい石が建てられていた。「一夜大師」と彫られたその場所から写真のような小道を歩いた所に、その場所はあった。

そこは、戦争で亡くなられた方への慰霊の場所のようだった。数枚写真を撮らせていただいたのだが、この記事を読んで興味を抱いた方がもしいたら、実際にこの場所を訪ねて自分の目で確かめる事をおすすめしたい。

正面には、お参りをするお堂が建てられており、その中には西有家新四国八十八ヶ所を建立された空照さんの写真もあった。お堂の奥の小さい窓から、洞窟が見えたので建物の裏に向かうと、そこにはただ真っ暗な空間が広がっていた。

備え付けられた、大小の蝋燭に火を灯すとただの闇から大きな石像が浮かび上がった。

お大師さんの大きさに、昔の人の思いが伝わってくる。そこには実際に空照さんが使用していたと思われる仏具も。

灯に浮かんだその形はとても美しく、信仰の重みを感じることができた。

一夜大師のその横には、いくつかの石像も一緒に建立されていたのだが、その一つ一つが蝋燭の灯に照らされてとても美しく見えた。

蝋燭しかなかったその時代には、灯に照らされた姿を想像しながら像を彫ったらしい。その姿そのものの美しさもさることながら、蝋燭の揺れる灯を計算して彫る昔の職人さんの演出能力には本当に脱帽してしまう。

本当の美しさを知っている人にしかできない事だ。

実はこの越先の一夜大師には、2度訪れている。その2度目にはこの場所のさらに奥にある美しい沢をお世話になっている小田原さんと登ることにした。

木々に覆われたその沢は、陽の光があまり入ることがないのだろう。苔が生い茂りとても綺麗な水が流れている。

この沢の左右には、かなり古い石積みがみられ、昔このあたりで人が暮らしていたであろう痕跡が今も残っていた。人がいなくなった今、シダ植物や苔がゆっくりと元の姿に戻す作業をしているようだった。

沢登りの途中、見上げると朝なのか昼なのか夜なのか。よくわからなくなるような光がさしていた。水面に目をやるとキラキラと反射した陽の光がようやく時間の感覚を戻してくれる。

燈によって見えるものと、光によって感じるもの。

それが人の中にある美しさを照らしているのかもしれない。