西有家新四国八十八ヶ所霊場・番外編(空照立像・一夜大師)

7月も終わりに近づき、「西有家新四国八十八ヶ所霊場」の秘境、一夜大師と空照立像の探索に向かいました。

場所はなんとなく分かっていたのですが、連日の雨のお陰でなかなか山に入ることが出来ず、結局7月の最終週となってしまいました。

空照立像や一夜大師、行かれたことありますか?高岩山登山道の途中から獣道に入り、500m程見岳方面へ降りてゆきます。

雨のせいか、かなり道は荒れています。こちらは空照立像・足元には「昭和八年 見岳名中」と刻まれております。昭和八年にどんな方達がどうやって運んで来られたのか、その当時を知る方はおそらくもうおられないと思うのですが、どうやって作られたか、知っている人がいたら、直接お話を伺って見たいとなと思っています。

この付近は、人が定期的に来られているのか草なども刈り取られなんとなく管理が行き届いている印象がありました。

お顔は、結構現代風なんだなーと、こういう像はほとんど髪の毛の表現がないのですが、空照立像さんは坊主。なんかかっこいいです。そして手に持っている杖が新しい。やっぱり誰かちゃんと管理されているんですね。

こちらが、像の下に刻まれた文字。下の方が苔に覆われていて読めませんでした。

この立像より、少し上に戻ったところに、分かりにくいですが、分岐があります。赤いテープとブルーのテープが混在しているデボ部分を見失わないように歩いてください。

しばらく歩くと、とても巨大な岩が。。多分これが「びわ口」と呼ばれるところだと思います。この岩の下に一夜大師が収められている!早速近づいてみると、右側が思いっきり大雨の影響で崩れてしまっていて非常に危険。ゆっくり近づいている途中、私の後ろから

「わーー!すごーーい!」

と、妻の声。

みなさん、何がすごいか分かりますか?↓この写真

これに気がついた人は、お大師様巡りをやりなさいということです。

では正解を。

 

実は、私は勝手に一夜大師と普通のお大師さまの像の大きさが同じくらいかと思っていまして、岩の割れ目から見えた時は、本当にびっくりしました。私の写真の腕が悪いので、その大きさがあまり分かりにくいと思いますが、この岩。ものすごく大きいのです!(ぜひ行ってください)

こちらが、以前ご紹介した空照洞穴と並んで西有家町の秘境と呼ばれる一夜大師像です。その昔、見岳の方がセメントと砂を担いで空照さんと共に山に登り、一夜の内に完成させた弘法大師の像です。

一夜で完成させる昔の人の根性・技術には本当に驚かされます。この一夜大師のお顔は、ちょっと目が可愛い感じで、個人的には非常に親近感が湧きました。(ちょっと片眉が上がっている感じが素敵です。)

「ふみしめて、のぼる御山の岩大師、慈悲の利益を残します」

と書かれた札が一緒に収められています。

高岩山という山は、宝原から簡単に登ることができ、遠足や簡単な山登りの場所として地元の方に親しまれている山です。

今回の登山のように、昔の人の考えや信仰に触れて登る高岩山は、また違った顔をみることが出来ます。一度お大師さまにお会いすることを目的に登って見られるのも良いかもしれません。

私は、東京にいる際、正月から雪山に登ったり岩登りをしたり、とても山が好きでした。その中で学んだことは、昔の人が歩いた登山道には必ず意味があるということです。それが、生活の為か信仰の為かというのは置いておいて、必ず意味があるという所が大事だと思っています。

インターネットなどの情報がなかった時代の人は、今の人よりもはるかに沢山の事を知っています。一人一人がしっかりとした道の意味を知っていたからこそ、地元を知り、伝える事が出来たのではないでしょうか。

今回の一夜大師・空照立像の訪問で「西有家新四国八十八ヶ所霊場」に関係する全てを回る事が出来ました。その道のりの中で、出会った人、見た事や聞いた事、その一つ一つの事柄が八十八ヶ所霊場巡りの持つ意味なのだと思いました。

 

 

誰も知らない産業遺産

先日のこと

「西有家八十八ヶ所霊場」の写真を1番札所から撮影し直すことにしました。土曜日はとても日差しが強く、全身から汗が吹き出してしまい、熱中症になるのではないかと思うほど。。

よく晴れた日で、熊本まで綺麗に見える日でした。西有家八十八ヶ所霊場の六番札所(下八田付近)の撮影をして車に戻る途中に近くで作業をしているおばあさんに話しかけられました。

「鬼塚さんでしょ?」と。「いえ小田です」

みたいな感じで始まったと記憶しています。このおばあちゃんは西有家八十八ヶ所六番札所を管理しておられる方で、ちょうど花を変えたところだったので、写真を撮ってもらえて嬉しいとおっしゃっていました。そんなおばあちゃんの背後に「製糸工場」という看板が見えたので、「糸屋さんなのですか?」と話しかけてみると、

「今はもうやってないけど、昔は糸の工場をやっていたよ」

「機械は当時のまま残ってるから、見ていく?」

と中へ誘っていただいきました。とっても興味があったので、

是非!!

という感じで着いて行くと、想像をはるかに超えた世界が。。。

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悠久の時とハサミと理容院

35℃近い強い日差しを久しぶりに浴びた。そろそろ島原半島に本格的な夏が来るのだと思うと、とても嬉しい気持ちになる。

夏に似合わない無造作に伸びた髪を切ろうと思っていたら、じいちゃんと買い物にいった時の会話を思い出した。

「94歳にもなって、床屋さんやってるあいつは凄いなあ。」

ふと漏らしたじいちゃんの言葉。

「え?94歳で現役の床屋さん?」

そうだ、その人に切ってもらおう。

そう思いつき、西有家町の商店街へと向かった。

小・中学校の通学路だった商店街も今は人通りも少なく、とても静かな町になっている。その商店街の須川フェリーターミナルの見える角を曲がった所に「水江理容院」は有る。

ワクワクとした気持ちで、早速入って見ることにした。

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西有家八十八ヶ所霊場 その2

前回アップした、西有家八十八ヶ所霊場の紹介。先日、地元のラジオ局 FMひまわりに出演させていただき八十八ヶ所霊場の事を話させていただきました。

ラジオに出演させていただいた事で、多くの方に西有家八十八ヶ所霊場の存在を知っていただくことが出来た事を大変嬉しく思います。またFMひまわりへ紹介していただきました「O田原さん」に感謝申し上げます。ありがとうございました。

さて、今回は前回の西有家八十八ヶ所霊場で紹介しきれなかったところをいくつか紹介させていただきたいと思っています。

(第八十番札所・本町の魚屋さん入り口)

写真を見て、あれ?っと思う人もいらっしゃるかと思います。実はココ、個人的に非常にお気に入りの札所で、なんと魚屋さんの軒先にあります。この辺りは昔からの漁師町で、狭い路地の中にいくつもの家があり、とても賑やかだった当時の面影を感じることが出来ます。魚屋さんの軒先。なんとも地元に根付いたお大師さま。とても穏やかな表情をしていらっしゃいます。

(第七十七番札所・東向)

民宿すぐらの横にある札所です。この札所は島原大変の時に、亡くなられてこの浜に流れ着いた方の供養塔と共に祀られています。現在は、あまり知られていない大昔の災害ですが、この八十八ヶ所霊場を回ることで改めて私自身も知ることが出来ました。

(第二十五番札所・十一面観音堂内)

長野地区にある十一面観音堂、そのお堂の周りには溜池がいくつもあり、また谷間には田んぼが広がるのどかな場所にあります。とても立派なお堂は、地域の方々が丁寧に管理されていることで守られているのだと実感することが出来ます。

(第三十五番札所・慈恩寺の柑橘畑内)

このお堂は、八十八ヶ所中で、唯一石を積んだ石垣の様な祠でその技術は素晴らしいものがあります。実はこのお堂を探すのはちょっと苦労しました。地図上GPSでマークした場所に間違いないのだが、全く見当たらない・・・。そこで近所の方にお話を伺うが、ご存知なかった様でした。ただ、その家のお婆様にお話を伺うと、お堂までの行き方を教えていただくことが出来ました。このお堂、柑橘畑の中にあるのですが周りの木や草がかなり伸びており、少し離れてしまうと見つけることは非常に困難です。あの時道を教えていただいたお婆様、お身体の調子があまり良くない時に、丁寧に対応をいただきありがとうございます。

(第四十七番札所・高岩山登山口入り口の脇)

高岩山には、八十八ヶ所の内の三ヶ所があります。一つは頂上の帆柱石の裏側に回り込んだところ。一つは一夜大師。そしてこの四十七番札所のお地蔵さま。高岩山に登る時、みなさんはどの登山口から登られますか?ほとんどの方が宝原からのルートで登山されると思うのですが、たまには林道の塔ノ坂方面から登られてみては?登山で使う体力は倍以上ですが、普段あまり見ることのない高岩山に出会えます。このお大師様の横には、お地蔵さまと書かれた大きなお地蔵さまがあります。この場所が林道高岩線と雲仙道路など三叉路の分岐点にあるので、昔の旅人の安全を見守ってくれていたのでしょう・・・(推測)この場所を紹介させていただいたのは、このお地蔵さん。非常にでかいのです。そして表情が硬く、ちょっとビビりました 笑

(第四十二番札所・丸尾)

この四十二番札所は、西有家郷土史の中にも記述がありますが、最後まで見つけることが出来ませんでした。この四十二番札所を探す際に、丸尾の地域の綺麗さに心を奪われ何枚もシャッターを切ってしまいました。四十二番のお大師さまの周りには、水田や紫陽花の花が綺麗に咲き、管理されている方の細やかな心遣いを感じることが出来ました。

(番外札所・戸ノ隅の滝)

最後に、八十八ヶ所を巡る上で重要な、戸ノ隅の滝をご紹介いたします。戸ノ隅の滝は小学校・中学校・高校と遠足の時に毎回訪れていた場所で、このお大師さまや他の石像を祀るこの場所も何度も通った場所でした。かなり神秘的な場所で、何度も写真に納めたことがありますが、その時はこの場所が八十八ヶ所霊場の重要な場所とは知らず、今回改めて訪れると、また違った角度から見ることが出来ました。

戸ノ隅の滝には昔、この地域を荒らしていた龍が住み着いていた様で、その龍を少年の姿をした神様が退治した際に流れた血で今も滝は真っ赤に染まっているそうです。その龍逃げて最後に天に召された場所から、「龍石」という地名がついたそうです。

西有家町の地名にはそういった伝説に基づく名前が多く、まだまだロマンが絶えません。皆様もぜひ違った目線で故郷を旅してはいかがでしょうか。きっとそれぞれ違った美しさに出会うことが出来ると思います。

(戸ノ隅の滝)