帰郷のきっかけとなった事

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まだ私が東京にいた頃。

ほぼ毎日のように飲みに行っていた、元同僚の小針さん。今は、得意の中国語と英語を活かした国際的な仕事をしているらしい。本当によく2人で飲みに行っていた事を思い出します。

そんなある日、どこの飲み屋さんだったか覚えていないのだが、地元の為になる仕事がしたいと、小針さんと相談していました。

「小田さんの地元ってどんなとこなの?九州行った事なくて」

そんな風に小針さんに言われたのをきっかけに、南島原へ遊びに行こうと言うことになりました。でも、ただ単純に遊びに行っても面白くないので何かやろうと言うことになり。何が良いかと考えていたところ。

西有家小学校在学中の嫌な思い出「島原半島一周マラソン」

の話をしてしまい、実際に走ったらどのくらいで走れるのか試そう!と言うことに酔った勢いで決めました。

その日から、私は自転車トレーニングと、ランニング。小針さんは長時間走り続ける体を作り、いよいよ島原半島へ。

AM5:00

南島原消防署前をスタート。私は自転車でのサポート。ランナーは小針さん。目標は11時間以内でのゴールを掲げました。

途中、歌を歌ったり、のんびりと話をしたりしながらあっとゆうまに加津佐まで走り、夜明けを迎えました。

この時点ですごいなーと感じていたのが、小針さんの走るペース。とても100kmをこのペースで走るとは思えない、通常のスピードよりもかなり早いものでした。

それにしても、この半島の朝日の美しさは格別。本当に美しい。

加津佐を過ぎても一度も休憩を挟まず、順調に南串のロックシェッドへ。今回の危険ポイントの1番にあげていたところでした。後ろから迫ってくるトラックの音や、車の音が本当に恐ろしかったのを覚えています。

実を言うと、この島原半島100kmを走るとFBで発表した時に、当時は面識のなかった、池田製麺工場の池田さんから

「同じ日に100kmマラソンを走る人がいるよ。」

と、メッセンジャーが。その人が、現在一緒にラジオでお世話になっている、Mr,サイコの小田原さん。本当に偶然同じ日を計画していました。私たちペアはAM5:00スタート。小田原さん達はPM20:00スタート。何やら運命を感じる。

その小田原さんと、スタート前に色々なアドバイスをいただき、事前に危険ポイントを知っていた為、このロックシェッドも十分な準備をすることができました。本当にありがたかったです。

そして、いよいよ半島の西側へ・・・。

小浜町についた頃、地元NBCラジオからの取材依頼があった為、初めての休憩。

この時点でも、小針さんの元気は変わらず、飛んだり跳ねたり。冗談を交えながらのラジオ出演を果たしました。これが私のラジオデビュー。

この後、事前のコース設定で危険ポイントの2に挙げていた小浜〜千々石の国道に差し掛かり、時間帯と交通量を考慮し、迂回路を選択(この時点で100km以上の距離になるのは伏せて 笑)

緑のトンネルと景色が美しい富津方面へ

小針さんも一発で富津の町を気に入り、将来島原半島に住もうかなあと言っていました。(実行してもらいます)

のちに、小針さんのRUNの弱点として上がる、補給。この時点に来ても一切とっていません。これが、終盤に小針さんを苦しめることになりました。

時折、沿道から「頑張れー!!」との声が掛かり、その度に辛い表情は見せず満面の笑みで手を振って答えていた小針選手。相変わらずすごい根性だと思いながら、半島の北側へ。

北側へ来て、思いもよらなかったことが私の体に起こり始めます。サポートとしてロードバイクで並走していましたが、本来自転車はスピードを出して走るもの。ランナーのペースに合わせてゆっくりと自転車を漕ぎ続けていた為、首の筋肉は固まり、目の焦点も合いにくく。また、握力が徐々に失われてゆくというピンチ。ランナーをやってくれている小針さんを見てると、弱音は吐けません。

この地点での思い出は、小針さんと2人で歌を歌いながら走っていたこと。

「楽勝!楽勝!楽勝!」

と、変な歌を2人で繰り返し叫んでいただけのモノでしたが、妙に気持ちが落ち着きました。

そして、半島100kmは後半に入り。島原を過ぎたあたりで、小針選手の疲弊具合が目に見えて現れ始め、この挑戦で初めて15分間の休憩を入れました。

相当、辛かったと思います。非常に短い15分の休憩でしたが、目を閉じて休むという事の必要性を感じました。

その後は、ゆっくりと並走をしながら、日が落ち始めるとライトを点灯させ。本当に100m単位を確認しあいながらの走り。スタート時点とは明らかに変わった、水分の抜け切った表情と、汗染みで白くなったサポーター。最後は気力のみで走り続けました。

そしてスタートから、14時間10分

PM19:10 南島原消防署前に無事ゴールいたしました。

最後の数百メートルはどこにそんな力が余っていたのかと思うほどのスパート。自転車でも追いつくのがやっとでした。目標としていた11時間以内のゴールとはなりませんでしたが、途中迂回路を取ったことなどで、小針氏が実際に走った距離は103km弱。そう考えると、初めてのコースにしてはかなり早いと思いました。

ゴール地点では、PM20:00スタートの小田原さん組みが!一緒に記念写真を撮影し、この100kmマラソンを終了しました。

この出来事がきっかけとなり、地元の人の暖かさや、自然の美しさを感じ、帰郷しようかなと思うようになりました。私の思いつきに付き合ってくれた小針さんと私の奥様には、感謝しています。

実は、この小針さん100kmマラソンの翌日も早朝に起きて、海岸沿いをかなりの距離歩き回っていました。私の周りにはそういったタイプの人が多いのか・・・。そして、小針氏はその後も、全国の100kmマラソンに挑戦し続け、前回の東京柴又100kmマラソンでは、念願のサブ10(100kmを10時間以内でゴールする)を達成!!記録は9時間48分という驚異的なタイムを叩き出しています。そのゴールのあと、柴又駅前の養老の滝でビールを一緒に飲みました 笑

そんなこんなで、今回は番外編「島原半島100kmマラソン」の記憶をブログにアップして見ました。

それでは、また次回。

(小針と少女 in 百花台の滑り台)

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