ある日、不思議な夢を見た。
赤い髪の毛の女性が一人、土間のようなところに立っていて、真っ直ぐに私を見ている。
6畳程の狭い部屋には、小さい暖炉と奥にキッチンの様なものが見えた。
その女性は、私に何かを話しかけているが、その言葉は日本語では無く何処の国の言葉か理解出来なかった。
しばらくすると、奥の部屋から女性の足元を抜けて少年が駆け寄ってくる。ブロンドの髪の毛を耳のあたりで切り揃え、何処となく女性に似たその子は私の膝くらいの身長しかなく、そのまま私の足にしがみ付いてきた。
私は、女性に頭を下げその少年にお別れを告げて振り返り、家のドアを開ける。
目の前には、少し高い岩の上に小さな礼拝堂が見えた。赤い屋根に黒い壁のその礼拝堂はとても古く、家の左側には小さな川が見えた。
そこで、夢は終わってしまう。
その日は、10月27日。
そして、1ヶ月おきに同じ夢を見る様になった。
毎月27日。
同じ様に女性は私に話しかけ、子供にさよならを告げた私は、いつもの様にドアを開けて、またいつもの景色を見る。
やはり、その場面で夢は終わってしまう。
1年後、10月27日。また同じ夢を見た。
その夢はいつもと少し違っていた。
女性は私に少し強い口調で話しかけてくる。そこには少年の姿は無く、まだ奥の部屋にいるのだろう。何語か分からないその女性の口から、初めて私が聞き取れた言葉。
「モルドバ」
私には、そう聞こえた。
すぐに、PCで調べる初めて耳にする言葉。そこには、日本から遥か遠い東ヨーロッパの国が有った。
すぐに航空券を手配し、勤め先に休職を申請した2週間後、私はトルコへ向かう飛行機の中にいて、ピンク色の機内で流れるトルコの音楽を聞きながら、初めての国にとても気持ちが高ぶっていたのを覚えている。
モルドバに到着した時、時刻は間も無く夕方になろうとしていた。
空港から市内へ向かう道路に、コウノトリの巣が有った。何処まで続くのか分からない草原と真っ直ぐな道に、初めてのモルドバの日が暮れた。
次の日から、その女性を探す旅が始まった。
その当時、モルドバには6名の日本人が暮らしていたが、その中でもNさんという方のお世話になり、毎日Nさんの秘書と図書館に向かい、夢で見た景色を探し続けた。
80枚程、夢で見た景色に近い建物をピックアップし、Nさんの秘書に調べてもらったところ、ある一つの建物だった事がわかった。
「サハルナ」
信仰心の強いモルドバに有って、最も歴史の古い教会のある小さな町。早速向かうことにした。
道中にはモルドバらしい真っ直ぐな道が延々と続いていて、とても新鮮な景色だった。
サハルナへ向かう車の中で、とても喉が渇いた私は、運転手さんに無理を言って道の先に見えた修道院に立ち寄り、井戸の水を飲ませてもらった。その景色は日本で見ることのできないもので、今でも強く印象に残っている。
約3時間程、車を走らせて着いたとても小さな町には、雨が降っていた。
ぬかるんだ道を右に曲がった先、
少し高い岩の上に、小さな礼拝堂が見える。その礼拝堂に向かう道の左側には小さな川が流れており、間違いなく私が夢で見続けた場所だった。
さっそく町の方に、赤い髪の毛の女性が居るか尋ねると2人居るという事がわかり、その家に案内してもらった。一人は非常に若く、もう一人はおばあちゃんだった。
おばあちゃんは、少し似て居る印象だったが、私が夢で見ていた家の反対側でドアから見える景色も違い、その家に住んだことも無いとのことだった。
実際に、夢で見た家に行ってみたが、誰も住んでいなかった。町の人に話を聞くとかなり昔に若い女性が子供と暮らしていた。赤い髪の毛の女性だったような気がする。という話だったが、昔すぎて今どうして居るのか誰も知らないらしい。
少し落胆しながら小さな礼拝堂に向かった。興奮していたのか写真を撮ることを忘れていたらしく、1枚だけ礼拝堂の十字架の写真が残っていた。
これが、私がモルドバに関わるきっかけになった出来事。
今もその女性を探し続けている。
この旅で、自分の将来を決める大きな出来事がもう一つ有った。
現在のモルドバジャパンの活動の拠点である、カザネシュティ村に訪問したことだ。
カザネシュティ村はとても美しい。
朝には、草原に霧が立ちこめ、みんなが家で飼っている牛や鳥を散歩させている。一人で歩いていると、よく話しかけられるが、ルーマニア語が分からない私には全く理解ができず、笑顔で返すことで乗り切っていた。
この発電所まで毎朝散歩するのが日課となっていた。夜には満点の星空が見え流れ星は数えきれない程。星を撮影する腕があればととても後悔した。
モルドバには、出稼ぎ問題と呼ばれる大きな問題がある。働き盛りの大人が子供を国においたまま海外で働きながら仕送りをしている。355万人程の人口しかないモルドバに於いて、その数は100万人以上と言われている。
このカザネシュティも70%近くが出稼ぎに出ており、子供達だけで生活をしている家庭も見られた。
決して綺麗とは言えない服を着た子供が、3人。暗い家の中で黙々と作業をしていた。現地の人の話では、まともに学校に行けていないとのことだった。
その光景は非常に衝撃的で、今までの自分の暮らしを少し恥ずかしく思った。
その日から、私は本格的にモルドバへの支援活動を行うようになった。
カザネシュティ・子どもデイケアセンター。
親と暮らすことが出来ない子供達に勉強や、食事の提供を行い親が帰って来たときに元気な笑顔で迎えられるように見守る施設。
私のもう一つのライフワーク。
あの赤い髪の毛の女性と、夢で出逢って11年。
まだ、会った事のないその女性は、沢山の出会いを私に与えてくれた。
これからも、終わる事のない夢の意味を探してゆきたい。
【お知らせ】モルドバジャパンではカザネシュティ・子どもデイケアセンターでの活動と、モルドバ共和国への日本の理解を広げる目的でクラウドファンディングを行なっております。
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