11年後のあなたへ

ある日、不思議な夢を見た。

赤い髪の毛の女性が一人、土間のようなところに立っていて、真っ直ぐに私を見ている。

6畳程の狭い部屋には、小さい暖炉と奥にキッチンの様なものが見えた。

その女性は、私に何かを話しかけているが、その言葉は日本語では無く何処の国の言葉か理解出来なかった。

しばらくすると、奥の部屋から女性の足元を抜けて少年が駆け寄ってくる。ブロンドの髪の毛を耳のあたりで切り揃え、何処となく女性に似たその子は私の膝くらいの身長しかなく、そのまま私の足にしがみ付いてきた。

私は、女性に頭を下げその少年にお別れを告げて振り返り、家のドアを開ける。

目の前には、少し高い岩の上に小さな礼拝堂が見えた。赤い屋根に黒い壁のその礼拝堂はとても古く、家の左側には小さな川が見えた。

そこで、夢は終わってしまう。

その日は、10月27日。

そして、1ヶ月おきに同じ夢を見る様になった。

毎月27日。

同じ様に女性は私に話しかけ、子供にさよならを告げた私は、いつもの様にドアを開けて、またいつもの景色を見る。

やはり、その場面で夢は終わってしまう。

1年後、10月27日。また同じ夢を見た。

その夢はいつもと少し違っていた。

女性は私に少し強い口調で話しかけてくる。そこには少年の姿は無く、まだ奥の部屋にいるのだろう。何語か分からないその女性の口から、初めて私が聞き取れた言葉。

「モルドバ」

私には、そう聞こえた。

すぐに、PCで調べる初めて耳にする言葉。そこには、日本から遥か遠い東ヨーロッパの国が有った。

すぐに航空券を手配し、勤め先に休職を申請した2週間後、私はトルコへ向かう飛行機の中にいて、ピンク色の機内で流れるトルコの音楽を聞きながら、初めての国にとても気持ちが高ぶっていたのを覚えている。

モルドバに到着した時、時刻は間も無く夕方になろうとしていた。

コウノトリの巣

空港から市内へ向かう道路に、コウノトリの巣が有った。何処まで続くのか分からない草原と真っ直ぐな道に、初めてのモルドバの日が暮れた。

次の日から、その女性を探す旅が始まった。

その当時、モルドバには6名の日本人が暮らしていたが、その中でもNさんという方のお世話になり、毎日Nさんの秘書と図書館に向かい、夢で見た景色を探し続けた。

80枚程、夢で見た景色に近い建物をピックアップし、Nさんの秘書に調べてもらったところ、ある一つの建物だった事がわかった。

「サハルナ」

信仰心の強いモルドバに有って、最も歴史の古い教会のある小さな町。早速向かうことにした。

道中にはモルドバらしい真っ直ぐな道が延々と続いていて、とても新鮮な景色だった。

道の途中

サハルナへ向かう車の中で、とても喉が渇いた私は、運転手さんに無理を言って道の先に見えた修道院に立ち寄り、井戸の水を飲ませてもらった。その景色は日本で見ることのできないもので、今でも強く印象に残っている。

修道院で水を飲む

約3時間程、車を走らせて着いたとても小さな町には、雨が降っていた。

ぬかるんだ道を右に曲がった先、

少し高い岩の上に、小さな礼拝堂が見える。その礼拝堂に向かう道の左側には小さな川が流れており、間違いなく私が夢で見続けた場所だった。

さっそく町の方に、赤い髪の毛の女性が居るか尋ねると2人居るという事がわかり、その家に案内してもらった。一人は非常に若く、もう一人はおばあちゃんだった。

おばあちゃんは、少し似て居る印象だったが、私が夢で見ていた家の反対側でドアから見える景色も違い、その家に住んだことも無いとのことだった。

実際に、夢で見た家に行ってみたが、誰も住んでいなかった。町の人に話を聞くとかなり昔に若い女性が子供と暮らしていた。赤い髪の毛の女性だったような気がする。という話だったが、昔すぎて今どうして居るのか誰も知らないらしい。

少し落胆しながら小さな礼拝堂に向かった。興奮していたのか写真を撮ることを忘れていたらしく、1枚だけ礼拝堂の十字架の写真が残っていた。

サハルナの礼拝堂

これが、私がモルドバに関わるきっかけになった出来事。

今もその女性を探し続けている。

この旅で、自分の将来を決める大きな出来事がもう一つ有った。

現在のモルドバジャパンの活動の拠点である、カザネシュティ村に訪問したことだ。

カザネシュティの朝

カザネシュティ村はとても美しい。

朝には、草原に霧が立ちこめ、みんなが家で飼っている牛や鳥を散歩させている。一人で歩いていると、よく話しかけられるが、ルーマニア語が分からない私には全く理解ができず、笑顔で返すことで乗り切っていた。

カザネシュティ発電所跡

この発電所まで毎朝散歩するのが日課となっていた。夜には満点の星空が見え流れ星は数えきれない程。星を撮影する腕があればととても後悔した。

モルドバには、出稼ぎ問題と呼ばれる大きな問題がある。働き盛りの大人が子供を国においたまま海外で働きながら仕送りをしている。355万人程の人口しかないモルドバに於いて、その数は100万人以上と言われている。

このカザネシュティも70%近くが出稼ぎに出ており、子供達だけで生活をしている家庭も見られた。

決して綺麗とは言えない服を着た子供が、3人。暗い家の中で黙々と作業をしていた。現地の人の話では、まともに学校に行けていないとのことだった。

その光景は非常に衝撃的で、今までの自分の暮らしを少し恥ずかしく思った。

その日から、私は本格的にモルドバへの支援活動を行うようになった。

日本語を学ぶ子供達

カザネシュティ・子どもデイケアセンター。

親と暮らすことが出来ない子供達に勉強や、食事の提供を行い親が帰って来たときに元気な笑顔で迎えられるように見守る施設。

私のもう一つのライフワーク。

あの赤い髪の毛の女性と、夢で出逢って11年。

まだ、会った事のないその女性は、沢山の出会いを私に与えてくれた。

これからも、終わる事のない夢の意味を探してゆきたい。

【お知らせ】モルドバジャパンではカザネシュティ・子どもデイケアセンターでの活動と、モルドバ共和国への日本の理解を広げる目的でクラウドファンディングを行なっております。

お時間がありますときに、下記のリンクからページをご覧いただけると嬉しいです。皆様からのご支援をお待ちしております。

モルドバジャパン・クラウドファンディング

よろしくお願いいたします

世界の終わりに一人は嫌だ。

南島原には、大潮の干潮の時にだけ現れる秘密の場所がある。

普段は車を使う為、その場所に気がつく人はごく僅かだろう。

道からは一瞬しかみることが出来ないその場所の入り口は、冒険好きな人なら、誰でも好奇心を掻き立てられる。

見るからに危険な場所のため、8月の最後の大潮の日にお世話になっている方と2名でその場所を訪れた。

ヘルメット・沢用のフェルトシューズ・絶対に濡れるので速乾性の高いパンツと撮影用の機材。

左右に切り立った崖。高さは10mほどあるかもしれない。ずっと奥まで続くその地形は先の方で左に曲がっており、その先は見ることが出来ない。

入口から既に膝まで浸かり、しばらくは水路の端を歩くことができるが、そのさきは少し飛び降りなければいけない。その奥には素晴らしい景色が広がっていたが、たくさんの問題もあった。

続きは是非、動画でご覧ください。南島原にはまだまだ知らない場所がある。

※暗い音楽が流れますので、できれば音ありでご覧ください。HDがオススメです。

※場所の特定が出来た方でも、訪れることはオススメ致しません。落石が非常に多く、いつ崩れるかわからない為です。

夏の日の午後

”今年の暑さは異常”

確か、一昨年あたりにも同じようなセリフを聞いていた覚えがある。

人に備わった便利な機能「物忘れ」

そのお陰で、経験したことが無いらしい「暑さ」に毎年のように出会うことが出来る。

それも、この「みなみしまばら」という場所の良いところかもしれない。

前浜海水浴場 SUP

来週はもう9月。朝夕感じる涼しさは、すぐそこまで秋が来ているという事を感じ取ることができる。

今年の夏は、たくさん水にさわった。

36年の思い出の中で、小学4年以来だろう。潜ったり泳いだり、川で遊んだりと、本当に子供の頃に戻った様だった。

プールでは潜水のみで16mという目標を立て、もともと苦手だった水泳を必死で練習した。バタ足を使わずにフィンをつけた様に泳ぐその感覚はよく使う表現だが、魚になった様な気分だった。

プールの底を無心になりながら泳ぎ、手が壁に触れた瞬間、水面に上げた顔は、おそらく最高の笑顔になっていたのだろう。

もう一つ、みなみしまばらで水といえば「滝」がある。

その中でも遠足で良く行っていた「戸ノ隅の滝

戸ノ隅の滝

何百回も見たことが有るのに、毎回なぜか感動してしまう。

その大きさと、神秘的な赤い色の川。その周りには苔が多く生え長い歳月をかけて出来た景色ということがわかる。

滝に近ずけばその水圧と水しぶきに体がよろめいてしまう。滝壺の濃いブルーは、この滝特有の深い色をしている。

戸ノ隅の滝

子供の時には気が付かなかったが、この滝はとてもカラフルだ。

龍の血で染まった赤い石と、苔むした岩肌の緑。鉄分の多い水なのに綺麗な深い青。

ずっと変わらない20年だったのだろうけど、何故気が付かなかったのだろうと不思議に思う。

そして、最近になって教えていただいた名も無き滝「三連滝」

なんども紹介している滝だが、行くたびに毎回表情が違う。

第一の滝

深い山の中に有るその滝は、三つで一つの滝になっている。この写真は第一の滝。日の当たるいい条件の日には本当に美しい青い色をしている。

第二の滝

比較的に小さく緩やかな第二の滝。水の流れる平らな岩肌の上にカメラを固定し撮影した。この位置からならば、ウェットスーツを着てキャニオニングの様な事をしても少々の怪我で済む気がする。

第三の滝

この第三の滝は、以前のブログでも何度か写真を紹介しているのだが、この日は流れも穏やかで陽の光が適度に入り、とても美しかった。

この名も無き滝「三連滝」は、梅雨の時期や夏の終わり頃の一定の期間でしか現在は見ることが出来ないらしい。

地元の人の話によると、昔は一年を通して水が流れていたそうだ。この滝の下流には、とても綺麗な川が流れているが、今はこの滝と同様、少しの間しか見ることが出来ない。

長い間全く変わっていない筈の「戸ノ隅の滝」

人の手によって変わってしまった「三連滝」

この二つのどちらも、人間の便利な「物忘れ」のお陰でいつまでも新鮮な気持ちで見ることができる。

ただ一つ、いつになったら変わらない事の大事さに気がつくのだろうとも思う。この二つの滝は、そのわかりやすい見本の様な気がする。

今のままにしておけば、いずれどちらかの滝は消えて無くなってしまうだろう。

感覚として感じることが出来ないほどの、ゆっくりとした変化。

それは、変わらないで欲しいと願う人の気持ちによって、その時間を止めることができる様な気がする。

夏の暑さの様に、毎年忘れてはいけない。

幻の青い滝

音価

先月、4月28日に西有家八十八ヶ所メンバーの皆様と、特別編

「空照洞穴への道」を開催いたしました。

いつもご参加くださる方の他に、多くの方にご参加いただき総勢10名での八十八ヶ所巡りとなりました。また今回は西有家にありますお寺から和尚様もご同行頂き、数十年ぶりとなる空照洞穴でのお経を上げていただく事が叶いました。この場をお借りしてお礼を申し上げたいと思います。

また、今回のブログは西有家八十八ヶ所巡りの様子がわかりやすい様に動画を作成いたしました。

素人の動画ですので、優しい目で見てください。

本編には洞窟内部の映像は殆ど使用しておりません。空照洞穴は非常に神聖な場所ですので、内部の映像は必要最小限としております。

ご興味のある方は、実際にご自分の目でその神秘さをご覧いただきたいと思っております。

ルートは非常に危険を伴いますので、専門のガイドの方にお願いをするか、こちらのブログへコメントくださいませ。

動画の最後にお経が流れます。高画質と音声有りでご覧く事をおすすめいたします。

全画面表示で見てくださいね。

 

とある女性の一生

私が住む南島原も、連日20℃をこえる日が続き本格的に夏の雰囲気が強くなってきました。夏は私が好きな季節ですので、毎日テンションが高く、色々な冒険に外出したくなります。

さて今回は、以前FMひまわり 87.6MHzの生放送でも取り上げました、島原半島に点在する”記録のない八十八ヶ所”について書こうと思います。

この記録の無い八十八ヶ所との出会いは、「西有家新四国八十八ヶ所」を探していた時のこと。八十八ヶ所のお大師様の脇に、とても難しい文字の刻まれた石碑がいくつか建てられていました。初めは全く興味がなかった為、そのままにしていたのですが、ある日、世界遺産候補の原城に行った時のこと。

有名な天草四郎時貞の像の右側。みなさんは気が付いていましたでしょうか。この石碑「福徳円満大満潮大神 島原の乱戦没者慰霊島原半島八十八ヶ所平和塔 第一番札所」

原城という南島原の歴史に深く関係のある場所に建立されたこの石碑は、綺麗に手入れがされており、造花ではありますが初めて花が添えられているものを見ました。裏には「建立者 信者一同」とあり多くの方が関わっている物なのだという事を初めて感じた場所でした。

その事がきっかけとなり、図書館などで様々な文献をあさりましたが”一切”記録などが残っていませんでした。

そこで、島原半島の歴史などに詳しい方数名にお会いし、お話をお伺いしたのですが皆様同様に、この石碑の存在は知っていても詳しい内容まではご存知ありませんでした。現在はお話をお伺いさせていただいた方皆様が、ありそうな場所や見つけた場合にご連絡をくださり、本当に力強い協力をいただいております!

さてここは、とりあえずこの石碑を探し出す事に集中して捜索するという方向にシフトチェンジし、個人的にありそうな場所を見つけると、道無き道でも入り込んで撮影し続けましたので、いくつか紹介をしたいと思います。

①北串の観音堂裏

※写真左隅に見えますか??

この場所は、車で近くまで行く事が出来るのですが、車道が物凄く狭いので車での訪問はやめた方が良いです。

②小田山神社裏

小田山神社という場所、ご存知ですか?塔ノ坂から雲仙方面に登った先のT路を左折し口之津方面へ降りる道の左側にある、巨石が非常に美しい立派な神社です。その拝殿の裏手にひっそりと。この場所自体が美しい場所なのでオススメです。

③見岳・大払洞窟入り口

こちらも何度も紹介しております、西有家の秘境。見岳・大払洞入り口。この場所は非常に急峻な場所を登りますのである程度の装備が必要です。

そんな感じで、ゆっくりですが一つ一つ新たな石碑を見つけていた際、有家町にある熊野神社参道の入り口にある石碑を撮影していた時の事。。

90歳を超えているであろうおじいさんから声をかけられました。

「そん花は綺麗かやろー?持っていけば?」

おじいさまは、私が花を撮影していたと思っていたようですがこの石碑を探しているという事を説明させていただきました。その話を聞いたおじいさまから、興味深いお話を聞く事が出来ました。

”今から約40年前のある日、一人の女性が訪ねて来た。その女性は島原の乱で戦死した方の供養をしたいので、この場所に石碑を建てたい。協力してくれないか”

という申し出があったそうです。おじいさまは、あまりに熱心なその女性の説明に協力を快諾し、熊野神社脇にこの石碑を建立したそうです。この日、

”建立者は女性”

という重要なヒントに出会う事が出来、大きく一歩前進しました。

その日から数ヶ月後、相変わらずこの石碑を探していた時。口之津にあります「口之津歴史民族資料館」の森館長とお話をしていた時の事、加津佐町にある越先の一夜大師という場所を教えていただきました。(越先の一夜大師に関しては、前回のブログ燈にて詳しく紹介しております。)

その場所にも、森館長の読み通りに石碑を発見しました。

この石碑を見つけた事がきっかけで、いくつかのヒントを得る事が出来、関係者にたどり着く事が出来ましたが、その方のご迷惑にならないよう、詳細に関しては記載いたしません。

関係者の方にお電話した時の会話の内容は、

”その名前は確かに私ですが、そのような石碑を建立した覚えも、越先という地名も知らない”

という予想外の返事が。ただ、島原の乱の供養をしていた人については、心当たりがある。という事でしたので、早速取材に急行しました。

その場所は、南島原市にある長閑な地域のお宅。その女性にお伺いしたお話は、私の予想とは大きく違った意外なものでした。

以下、この”記録の無い八十八ヶ所”についてお伺いした内容です。

”島原ノ乱戦没者慰霊 島原半島八十八ヶ所平和塔は、私の知っている人が建立したものです。その方は今から8年前に他界されました。生まれつき体が弱く、様々な病に悩まされていたその方は医術では治すことが出来ないという事を知り、神様を信仰するようになりました。様々な神様を信仰しておられましたが、後に島原ノ乱の供養が十分では無いという思いから、島原半島の全域にこの八十八ヶ所を生涯をかけて立て続けた様ですが、私共はどちらかというと反対をしておりましたので、それ以上の事は知りません。”

私が、今も探している「島原ノ乱戦没者慰霊 島原半島八十八ヶ所平和塔」は、生まれつき病に悩まされ続けた女性が、その回復を願って建立した物でした。生涯をかけたその行で何らかの功徳を得られると信じ続けた時間は、その人にとってどんな時間だったのだろうか。

地元の歴史を知るために始めた、「西有家新四国八十八ヶ所探し」その過程で知った「記録のない八十八ヶ所」それは昔、南島原に生きた”とある女性の一生”との出会いでした。

今後、何年かかるかわからないその八十八ヶ所探しを通して、その方の思いに触れてみたいと考えています。

もし、島原半島のどこかでこの石碑を見つられた方がいらっしゃいましたら、コメントをお待ちしております。

 

そして、最後に私からのプレゼントを。いつもブログの最後にある写真。今回は不思議な物にしてみました。何が不思議かわかりますか?それでは、次回のブログでお会いしましょう。

南島原の春は、朝焼けがとても美しい。

近頃は、朝のラジオ番組をやっている為、ちょうど朝日が昇る時間帯に海のそばを通るのだが、毎回港に立ち寄り朝日が昇るのを待ってからスタジオ入りする。ちょっとした時間だが、気持ちをリラックスさせる為の、自分にとっては大事な習慣になりつつある。

先日、ラジオ終わりでとある調べ物の為に「口之津民俗資料館」の森館長を訪ねた時のこと。南島原市加津佐町の越先という地域にある一夜大師の事を聞いた。

その日は、前日から弱い雨が降り続き山に入るには非常に危険な条件だったが、下見をかねて越先を目指した。

その場所は、東越先という道標から右に車を走らせた山間にあった。

「一夜大師水源の森」という大きな石碑の少し先、ひっそりとした小さい石が建てられていた。「一夜大師」と彫られたその場所から写真のような小道を歩いた所に、その場所はあった。

そこは、戦争で亡くなられた方への慰霊の場所のようだった。数枚写真を撮らせていただいたのだが、この記事を読んで興味を抱いた方がもしいたら、実際にこの場所を訪ねて自分の目で確かめる事をおすすめしたい。

正面には、お参りをするお堂が建てられており、その中には西有家新四国八十八ヶ所を建立された空照さんの写真もあった。お堂の奥の小さい窓から、洞窟が見えたので建物の裏に向かうと、そこにはただ真っ暗な空間が広がっていた。

備え付けられた、大小の蝋燭に火を灯すとただの闇から大きな石像が浮かび上がった。

お大師さんの大きさに、昔の人の思いが伝わってくる。そこには実際に空照さんが使用していたと思われる仏具も。

灯に浮かんだその形はとても美しく、信仰の重みを感じることができた。

一夜大師のその横には、いくつかの石像も一緒に建立されていたのだが、その一つ一つが蝋燭の灯に照らされてとても美しく見えた。

蝋燭しかなかったその時代には、灯に照らされた姿を想像しながら像を彫ったらしい。その姿そのものの美しさもさることながら、蝋燭の揺れる灯を計算して彫る昔の職人さんの演出能力には本当に脱帽してしまう。

本当の美しさを知っている人にしかできない事だ。

実はこの越先の一夜大師には、2度訪れている。その2度目にはこの場所のさらに奥にある美しい沢をお世話になっている小田原さんと登ることにした。

木々に覆われたその沢は、陽の光があまり入ることがないのだろう。苔が生い茂りとても綺麗な水が流れている。

この沢の左右には、かなり古い石積みがみられ、昔このあたりで人が暮らしていたであろう痕跡が今も残っていた。人がいなくなった今、シダ植物や苔がゆっくりと元の姿に戻す作業をしているようだった。

沢登りの途中、見上げると朝なのか昼なのか夜なのか。よくわからなくなるような光がさしていた。水面に目をやるとキラキラと反射した陽の光がようやく時間の感覚を戻してくれる。

燈によって見えるものと、光によって感じるもの。

それが人の中にある美しさを照らしているのかもしれない。

 

 

 

 

海辺のアート

少し前に行われた「九州オルレ・南島原コース」初めて参加いたしました。南島原にある自然をゆっくりと歩いて回るというイベント。10km程の短めのコースには、各ポイントで様々なおもてなしがありました。

ご興味のある方は是非、3月にもあるみたいですので参加してみてください!

と、ここまでは南島原の宣伝を。

参加した後に、少し歩き足りないと思った私は口之津から実家のある西有家町へ歩いて帰ることにしました、約18kmの道のり。関東にいる時には、1日で26kmの山道を歩くこともありましたので同じように楽しんでみようと、カメラ片手にスタートしました!

その道沿いには、想像以上に良いポイントが多くとても楽しい時間でした。今回はその道中で撮影した写真と、その他の日に撮ったポイントを是非ご紹介させてください!

その①:宮崎鼻、海沿いのクギ

歩き出してすぐ、宮崎鼻付近の海沿いの防波堤に、可愛らしい釘・・・。クギが2本。何か人が立って海を眺めてる感じがして思わず撮りましたが、よくよく考えると凄く危ないです(笑)

その②:手作りのドラム缶アート

宮崎鼻から少し歩いた道路沿いにある、手作りの「塀」ズラーっと並んだ錆びたドラム缶の上に、手作りの木枠。この付近の海は透き通っていてとても綺麗な砂浜。

その景色とこのカラフルなドラム缶がとても合っている。。どこか海外の島みたいな雰囲気。このコースは歩道が少なく歩くにはちょっと危険です。

その③:旧島原鉄道の鉄橋

浦上病院の少し手前、島原街道への入り口付近に今は使われなくなった島原鉄道の鉄橋があります。ここから眺める海の景色は本当に最高です。真下から見上げる鉄橋も鉄道好きなら必見のポイントです。

その④:東向屋の小波止

南島原市の中で、私の大好きな場所の一つ。以前のブログにも同じ場所の写真を載せていたりします・・。この場所はとても小さな港なのですが、透明な海と古い波止や白い砂浜。遠くには普賢岳が見える最高の癒しポイントです。

その⑤:古びた鉄管

南有馬の小道を入ると、真四角の鉄管がたくさん保管されている場所があります。コンクリートが詰まったままのものもあれば、空のものも。海沿いにある事も有ってか錆び具合が強く、工場好きの私としたらこの景色は撮影せざるを得ないポイントでした。

その⑥:商店街の古い電灯

すっかり日も暮れた頃に通り掛かった、北有馬の古い商店街。一つだけ電気の灯った古い電灯がありました。昭和の雰囲気のあるデザインと、黄色味掛かった光がとても懐かしく、子供の頃の地元商店街を思い出しました。時代を感じるこういうデザインに触れる機会が少なくなってきたのが少し寂しい気がします。

ここまでは、前回のオルレ後の歩いて帰る途中で出会った景色です。

番外編①:海の見える丘の販売機

南串の小学校から少し登ったところにある自動販売機。ポツンと1台だけある販売機からは、島原半島の美しい棚田と海が一望できます。コーヒーで一息できる本当に綺麗な場所です。

番外編②:網干しの風景

地元の港に渡る橋に、時折漁の為の網が干されます。黄色や青やオレンジのカラフルな網が並んだ光景は、青い空にとても合っていてとても綺麗な光景です。

番外編③:台風の後の海

ここは、南島原の定番「前浜ビーチ」台風の後に撮影しました。不安定な大気の影響で嵐と晴天の丁度間の雰囲気がより美しさを増してくれます。

人が意図的に作る「アート」は私少し苦手なのですが、島原半島にある海辺のアートは生活に直結した、「結果的アート」。そういうものには、とっても惹かれます。

この半島は、本当に歩いて散策するのに最高の場所。たまには歩いて旅するのもオススメです。

南島原にももうじき「春」がきます。

 

浜辺の理容院

南島原には、古くから続く理容院が今も多く残っています。その中でも建物が素敵すぎて思わず入ってしまった「浜辺の理容院」を紹介したいと思います。

去年の年末ライフワークである、みなみしまばら一人歩きをしていました。

場所は加津佐町。

その日は強い雨が降っておりまして、傘をさしていてもずぶ濡れになるほど。

私は、雨の日に外を歩くのも好きなので全く気にせず商店街をフラフラと歩いていました。そんな大雨の商店街に思わず目を奪われる建物が。。その日はすでに営業を終了されておりましたが、窓際でご主人が理容道具の手入れをしている姿が。きっと良い仕事なのだろうなと思いながら後日訪問してみることに。

レトロなストライプの日除けに年季の入ったサインポール。特徴的なのは全て木枠のままの窓。

なんかジブリ作品の舞台になりそうな、映画のロケ地になりそうな。その映画にはきっと、もたいまさこさんが出ています。

駐車スペースも十分にあるので、非常に入りやすい。この日は近所の床屋さんと2人で訪問。急な2人の若者?に対して、お店の方の目線は若干怪しんでいる感じが伝わってくる。

「何でしょう?」

それがお店の方の一言目でしたので。

予想していた通りの店内は本当に雰囲気のある空間。

レトロで素晴らしい。。外からの日差しがオレンジと白のテントを通って、店内を可愛らしく照らしていました。早速椅子に座って髪型をオーダー。いつも通りの「おまかせ」

その理由は、私の頭の形や髪質を見ながら職人さんが考えてくれるから。そのほうが何か幸せな感じがしますし、技術も感じれる。

軽快なハサミの音を聴きながら、ご主人の好きな釣りの話で盛り上がりました。私も釣りが好きなので加津佐辺りの釣り情報も同時に仕入れられる。正に一石二鳥。

隣では、奥様が別のお客様の顔そりをされていました。この奥様本当に面白い人なのです。最近は、嵐にどっぷりはまっているらしく、本当に嵐の話題が止まらない。大野くんのファンだというその表情は本当に乙女。

やっぱり夢中になれるものがある人は、キラキラ輝いている。そんな素敵な奥様です。

ここで、カットの模様をタイムラプスご覧ください。

(撮影:小田原さん)

タイムラプスでみると、本当に楽しいですよね。

カットから、顔剃り、マッサージに到るまで本当に気持ちよくて眠くなりました。特に感動したのが座ったまま行うシャンプー。スタンドシャンプーという技術みたいで、力が強くて本当にスッキリしました。それ以来、理容室に行くときは必ずスタンドシャンプーでお願いしています。

1時間程の時間は、ご主人や奥様との楽しい会話や、技術でとっても短く感じました。

今回、レトロな雰囲気に惹かれて入った浜辺の「理容長谷川」その建物は昭和の雰囲気をそのまま現代に残しています。もっともっと長い時間この場所に居たいと思える素敵な空間でした。最近こういう理容院が減っているのがちょっと寂しいです。

こういった人と会い、何気ないお話をする中で見つける地元。

みなみしまばらは本当にいいな。

(撮影:小田原さん)

 

 

 

 

学校

 

せんせいあのね、昨日おにごっこをしたよ。いもうとがころんだよ。でも、泣かなかったよ。えらいなと思ったよ。

 

せんせいあのね、きのうリコーダーをれんしゅうをしました。りゆうは音楽のじゅぎょうでテストがあるからです。リコーダーはむずかしいけどがんばろうとおもいます。

せんせいあのね、ぼくはきのうカゼをひいて学校をやすみました。今日はともだちがだいじょうぶ?といってくれました。うれしいと思いました。

せんせいあのね、きのうおばあちゃんのいえにいったよ。おばあちゃんのかっている犬のまると、こうえんにさんぽに行ったよ。まるはおばあちゃんと同じくらいのねんれいだから、ゆっくりさんぽしたよ。1じかんくらいさんぽしたよ。

せんせいあのね、どようびにお父さんといもうとと魚つりにいったよ。いもうとは10ぴきくらいつったよ。ぼくはあまり釣れなかったよ。でもまた行きたいです。

せんせいあのね、今日りかのじっけんをしました。班のみんなでしました。アルコールランプは少しこわかったけど、りかが好きになりました。

せんせいあのね、クラスのみんなでげきのれんしゅうをしたよ大きなてぶくろのげきだよ。セリフをおぼえるのはたいへんだけど、いえでおかあさんがいっしょにれんしゅうをしようと言ってくれたから、こんどはじょうずにできると思います。

せんせいあのね、きのう体育でとびばこをやったよ。ぼくは4だんまで飛べるようになったよ。たかちゃんは5だん飛べるようになったよ。6だん飛べるようにがんばります。

せんせいあのね、6ねんせいの卒業式だったよ。すこしさみしかったけど、6ねんせいは中学生になるからすこしかっこよかったです。ぼくもはやく中学生になりたいと思いました。

 

せんせいあのね

 

 

 

山道の、トワる喫茶店で。

冷たく透き通った空気が一瞬のうちに頭上を通り過ぎ、つい先ほどまで見ていた空の景色も、すぐに新しい記憶へと変わってしまう。

みなみしまばらにも本格的な冬がやってきた。

近頃は、みなみしまばらを撮影でまわる機会が多く、今まで知ることがなかった景色や場所など沢山の事柄に気がつくことができる。

そんな撮影の合間に偶然立ち寄った山道の喫茶店。その素晴らしさに、久しぶりに不思議な感覚にとらわれた。

必要以上に大きい「営業中」の看板。手書きで書かれた赤い文字は、時間の経過とともに掠れてしまったのだろう。

箒で店先を掃除する上品な女性に会釈をし店内へと入った。

正面には6名ほどが座ることのできるカウンターと、年季の入ったしかしとても綺麗に手入れのされたサイフォン。

かすかに聞こえるラジオからは、その場所に似つかわしくないポップな音楽が流れていた。久しぶりに訪れた客に合わせてくれているのだろうか。

そんなことを考えながら店の奥に目を向けると、そこには一瞬で心を奪われるほどの風景が広がっていた。

外観からは想像ができなかったレトロな空間。時代を感じさせる小さめの椅子と机。着席するとよく膝がぶつかってしまうが、それが何故か嬉しい。

1ページのみのメニューには、コーヒーやレモンスカッシュなどの喫茶店ならではの飲み物から、ホットサンドやトーストなどの軽食、カレーやハンバーグなどのしっかりとした食事も。

私たちはそれぞれ「チキンライス」と「スパゲティナポリタン」を注文した。

正直な話をすると、料理にはさほど期待していなかったのだが。

(写真はチキンライス)

カレーライスの皿に盛られたチキンライスとサラダとデザートのキウィ。福神漬けが何気に嬉しかった。一口食べてその本格的な味に驚いた。どこか洋食屋さんでしっかりと修行をされたのだろうと思う。ただケチャップで炒めたものではなく、何かソースのような酸味と香りがして、一瞬で食べてしまった。

個人的には、この先割れスプーンのデザインが気に入った。

(スパゲティナポリタン)

友人が注文したナポリタンも、とても綺麗で美味しそうだった。ちょっとしたトラブルがあり時間がかかってしまったが、かなり美味しかったらしく、すぐに無くなっていた。

食後に店側からのご好意でコーヒーをいただいた。このコーヒーも想像以上というのは失礼だが、本当に美味しかった。

店内のいたるところに、時代を感じさせてくれる食器や装飾が多く、この喫茶店が流行っていた頃の空気を感じさせてくれる。

その当時は今のようにインターネットなどを使って「オシャレ」を参考にすることが難しい。あくまでも想像だが、ご夫婦で話し合い、どうやったらお客様が喜んでくれる空間ができるのかを作り上げたのだろうと思う。そこに、片方の意見が少々強く出ていてもそれは大した問題では無く、そこには唯一無二の空間があるだけ。

最近の所謂「カフェ」は海外の話題のスタイルをそのまま使用していたり、デザインの流れに大きな変化が無いため、どうしても同じような空間になってしまっている気がする。

やはり人は一生懸命考えることで、自分の世界を表現すべきだと思う。そこには「何の為に」というメッセージが明確に現れるからだ。

この喫茶店に流れる空気や音、窓からの風景も料理の味も、お店の方の人柄も。その全てがこの素敵な時間の元になる。

久しぶりに、感じた不思議な感覚は、そうやって自然に生み出されたものなのだろう。

そんな場所が、みなみしまばらにはあります。