誰も知らない産業遺産

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先日のこと

「西有家八十八ヶ所霊場」の写真を1番札所から撮影し直すことにしました。土曜日はとても日差しが強く、全身から汗が吹き出してしまい、熱中症になるのではないかと思うほど。。

よく晴れた日で、熊本まで綺麗に見える日でした。西有家八十八ヶ所霊場の六番札所(下八田付近)の撮影をして車に戻る途中に近くで作業をしているおばあさんに話しかけられました。

「鬼塚さんでしょ?」と。「いえ小田です」

みたいな感じで始まったと記憶しています。このおばあちゃんは西有家八十八ヶ所六番札所を管理しておられる方で、ちょうど花を変えたところだったので、写真を撮ってもらえて嬉しいとおっしゃっていました。そんなおばあちゃんの背後に「製糸工場」という看板が見えたので、「糸屋さんなのですか?」と話しかけてみると、

「今はもうやってないけど、昔は糸の工場をやっていたよ」

「機械は当時のまま残ってるから、見ていく?」

と中へ誘っていただいきました。とっても興味があったので、

是非!!

という感じで着いて行くと、想像をはるかに超えた世界が。。。

工場に入った途端に圧倒された。。今まで見たことのない大きな機械が昭和の建物の中にビッシリと並んでいる。。鳥肌がたつほどの光景で、私は「すごい」の一言を繰り返していたように記憶しています。

暑い中、糸の作り方に関して、おばあちゃんが一つ一つ丁寧に説明してくれました。

 

この機械に、乾燥した蚕の繭を入れ、高温で蒸して行く。糸をほぐれやすくするための工程のようですが、その時に蒸される蚕の匂いが今も鼻に残っているとのことでした。

その匂いのエピソードも教えてくださりました。

まだ創業している頃は、地元の小学生が社会科見学としてよく訪れていたそうで、その匂いが苦手で全く工場に入れなかった子や、工場内でもずーっと鼻をつまんでいる子が居たなど、楽しそうに話していただきました。

この椅子は、管理者の方が座って色々と指示を出して居たんだろうなーなんて想像しながら。

この工場にある機械は当時最新式のものが導入され、人間はほとんどその周りを巡回するだけだったようです。その機械が入る前は、女工さんが25人ほど手作業で行なって居たそうで、とっても活気があったと笑顔でおっしゃって居ました。この工場は主に「博多織り」用の生糸を生産し、福岡に納めておられたようで当時は非常に景気が良く、どんどん工場は拡大されていったそうです。

その時のエピソードも教えていただきました。

この工場は、狭い路地を入った小高い場所にある非常に大きな建物で、大規模な設備を入れるのに、大きいトラックが近づくことができず、鉄骨などを一つ一つ遠くから手で運んで建設したようで、その当時を思い出すと本当に良くやってくれたと、しみじみと話している姿が印象的でした。

これはデニールという糸の太さを測る機械。やっぱり昔のものは本当にセンスがあるデザインだなーと思います。この機械がいたるところに有るところをみると、当時の生産管理意識の高さが伺えます。

こういう光景、私は何時間もぼーっと見て居られるタイプの人です。そういう人は沢山いると思います。それでは続きの写真を。

かつての日本を支えた「製糸産業」は海外からの安価な商品の流入でゆっくりと衰退してゆき、今は殆どその姿を見ることができません。

そしてここにまた一つ、隠された産業遺産が有ることも、誰かが伝えて行かなければ徐々に朽ち果てていくのだと思うと本当に切ない気持ちになります。

私は、この製糸工場跡の方にお願いし、今後も見学させていただきたいという事を伝えて居ます。一緒に見学したいという方がいらっしゃったら、連れてきてほしいと仰って頂きました。また、

「機械が本当に嬉しそうにしている」

と、おばあちゃんが言っている姿が印象的です。

本当に貴重な「南島原産業遺産」一度見学に行きませんか?

近頃見れなくなった、蚕の繭。なんでこんなに可愛く作れるのか。蚕に聞きたい。

「誰も知らない産業遺産」への2件のフィードバック

  1. ここはもしかしたら中学生時代の2つ先輩のナガタさんの実家の様ですね‼︎ その昔、うちの母親が言っていた「ナガタセイシジョウ」の意味が今初めてわかりました‼︎
    ありがとうございます。

    1. コメントいただきまして、ありがとう御座います!!先輩のご実家でしたかー。ここは本当に感動いたしました!!長年の謎が解けてよかったです!!今後も、色々探します!

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