悠久の時とハサミと理容院

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35℃近い強い日差しを久しぶりに浴びた。そろそろ島原半島に本格的な夏が来るのだと思うと、とても嬉しい気持ちになる。

夏に似合わない無造作に伸びた髪を切ろうと思っていたら、じいちゃんと買い物にいった時の会話を思い出した。

「94歳にもなって、床屋さんやってるあいつは凄いなあ。」

ふと漏らしたじいちゃんの言葉。

「え?94歳で現役の床屋さん?」

そうだ、その人に切ってもらおう。

そう思いつき、西有家町の商店街へと向かった。

小・中学校の通学路だった商店街も今は人通りも少なく、とても静かな町になっている。その商店街の須川フェリーターミナルの見える角を曲がった所に「水江理容院」は有る。

ワクワクとした気持ちで、早速入って見ることにした。

店内には接客用の椅子が二つと、お客さんが待つための畳の敷かれた長い腰掛けが有る。

 

うっすらと聞こえるテレビの音から、高校野球が始まったんだなと思いながら店の奥に声をかけた。

「髪を切ってもらえますか?○○の孫です」

そういうと、あらー!!と声には出さない表情が見えた。

「準備ばするけん待っとってね!」

そういうと、奥にある可愛いタイル張りの洗面台へ向かわれた。

「○○さんのお孫さん!??」

突然店の奥の部屋から、奥様に声をかけられた。あなたのおばあちゃんは本当にいい人で、お世話になったのよ。と満面の笑みで話してくれた。私が生まれる前になくなったおばあちゃん。誰に聞いても「仏様のような優しい人」だったという。

それから、近頃の商店街の話や、私の小学生の時の話。孫の話などをしながら、94歳とは思えない手さばきで散髪が進んで行った。時折、横に座って話をしている奥様から

「最近の若い人は、刈り上げとか好まんけんね、お父さん」

などと指示が飛ぶのが楽しい。

そんな話をして居ると、笑顔の奥様からこんな事を言われた。

「この人は、シベリア抑留に行ってたから根性が強い」・・・

 

昭和13年(1938年)、満州に渡りそこで理容院をやられていたようで、当時の満州はとても人が多く、毎日たくさんの人の髪を切ったり顔を剃ったり。とても忙しかったそうだ。

昭和19年、終戦の前の年に徴兵検査を受け軍隊に所属、昭和20年終戦と同時にロシアに捕まりシベリアへと移送。

それから5年半、バイカル湖の辺りにある収容所で労働をさせられなんとか生き延びてきたと。

マイナス何十度にもなる極寒の地で、一日に1つのパンとじゃがいもだけが与えられる日々。力などどこにもなく、毎日のように仲間が死んでいく姿を見ながら地獄のような5年半だったと仰っていた。

その後、最後の日本人輸送船でロシアのナホトカから出航し、ようやく帰国された。

こういう話も聞いた。

ナホトカの港には多くのタコやイカがいて、それが食べたくて食べたくて。しかしロシアでは「血の流れない生き物は虫だから食べるな!」と言われ、しかも取る道具も無い。やれやれと思っていると、一緒に帰国する仲間の中に鍛治職人が居ることに気が付き、そいつに釣り針を作ってもらってタコやイカを取って食べた時が、嬉しかったと。満面の笑みで語られた。

さらに、出航のその瞬間の話が印象的だった。

日本人が全員乗り込んだ船から港を見ると、まだ一人の日本兵が港に佇んで居る姿が見えたそうだ。話を聞くとその日本兵は多くの人を殺したので返すわけには行かないと、たった一人ナホトカの港に残されたそうだ。その後、その人がどうなったか今も気になり、なんとか生きて居てくれるように願っていると。

衝撃的な話だった。

今まで、本やテレビなどで勉強してきた「シベリア抑留」という壮絶な戦争体験を実際にしてきた人が目の前にいる。とても信じられない、なんとも言えない気持ちになった。

髪を切りながら本当に良い経験をさせていただいた。

 

耳元で聞こえるハサミの「ザクザク」という音、少し離れた場所から聞こえるボイラーの音。

うっすらとクーラーの音も聞こえる。

ご主人は、とても働き者だそうだ、94歳になっても仕事を続ける理由を聞くと「仕事が好きだから」と仰っていた。

シンプルでとても美しい理由だ。

80年もの時間、お客の髪を切り、顔を剃り皆んなを笑顔にしてきたんだと考えると、本当に素敵な人だと心の底から思える。

この理容院の窓から見える景色は、もう何十年も日が昇ったり、日が沈んだりを繰り返していく中で、時間というものが無くなった世界へと変化し、一つの記憶になっているのだ。

記憶になった世界は、個性的で独特な美しさを放ち、全てのバランスが保たれた究極の姿を来るものに与えてくれる。そこには見せかけのデザインの様なものは一切の必要がなく、悠久の時と安らぎを感じさせてくれる。

本当に本当に素敵な時間だった。

私の地元、南島原には本当に素晴らしい経験ができる場所が数多く残されているんだと、改めて感じることが出来た。

「悠久の時とハサミと理容院」への2件のフィードバック

  1. 何故が清々しい気持ちになりました。私もこの町の生まれなので帰国した時は、ぜひ寄りたいな‼︎とつくづく思いました。御夫婦がずっと現役でいらっしゃる事を願います。

    1. コメントありがとう御座います。清々しい気持ちになられたのですね! とても嬉しいです!!普段は海外におられるのですか?地元に戻られたら是非いって見てください。とっても素敵な場所です。

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