皆様こんにちは。
近頃は、色々なみなみしまばらを巡っておりますが、今回は1ヶ所に限らず、ちょっと良いなと思った所を紹介したいと思います。
先ず、ご紹介したいのは南島原の秘境中の秘境にある、その名も「油地蔵」。以前紹介した、吉恒神社に行った際にお世話になった、板山さんにお電話を頂き、連れて行っていただく事に。
ルートは多分書いても全くわからないと思いますので、あえて書きませんが、上の写真を見て頂ければわかると思いますが、全く道などありません。ひたすら藪の中を進み続けます。
しばらく歩くと、古い古い道が現れます。大昔には、島原の方へ抜ける重要な道だったようで、今も少しだけ残る道の脇には当時から目印で有ったような巨大な石などが点在し、長い時を感じさせてくれます。そんな山道を探しながら歩いていくと突然。。
こんな言い方は良くないのかもしれませんが、その光景は少し異常に感じるほど。前記したように、そこに通じる道は一切無く、本当に突然現れるのです。ルートを案内していただいた板山さんも、島原半島中の山を熟知している中村さんも、このお地蔵さんを見つけるのに、実に3年半という長い時間が掛ったそうです。
その昔、島原のお殿様がこの道を通っている時に、この付近に湧水が湧いていたそうです。
「この水はどこに通じているのじゃ?」
そう思ったお殿様は、その湧水に油を流し、家来はその油を必死に追いかけて、どこに流れ着くのかを調べたそう。それ以来このお地蔵様を「油地蔵」と呼んでいるそうです。
階段の左には、「所有布津村・〇〇」そして人名が書かれています。
右には「南高木郡・有家村」の文字。かなりロマンを感じます。そして、この油地蔵の一番のミステリーは、次の写真。
おそらく、お分かり頂けないと思いますので、解説を。島原半島の山道に最も詳しいと言われる人達が、3年半もの歳月をかけて見つけたこの油地蔵。未だにそのルートは無く、かなり深い雑木林に阻まれており、また大雨などの影響でそこにたどり着くにはかなり困難な状況です。しかし、この写真。赤い前掛け・少しみえる花シバ。本当に綺麗です。
ここを最初に発見したときから、この様な状況だったそうで、誰かが定期的にこの山深い地を訪れ管理をされているのでしょう。昔、山男から聞いた剣岳初登頂の事を思い出します。
”初登頂を果たした時、その頂上には数百年前と思われる狼煙の後と鉾が残されていた。”
むかしの人はすごすぎる・・・。
続いては、海の近くを歩いていたら偶然見つけたところを。
そこは、口之津珈琲焙煎所に行こうとしていた日に偶然見つけました。その日の朝、とても強い雨が降り、海もかなり荒れていました。焙煎所もCLOSEの看板だった為、気になっていたルートを進むことに。
そこには、自然の石で作られた洞窟風のお稲荷さんが。
(携帯で撮影しましたので、画質が低いです)
おそらく自然に出来た穴を利用した、その名にふさわしい「祠」とても大きな石が左右を囲み、とても不思議な雰囲気があります。
奥にある黒い岩がおそらくご神体なんでしょうね。写真で表せない自分の腕に涙流れそうです。。
古い古い井戸もあり、とっても不思議なパワースポットです。その言い伝えは未だ調べておりませんので、この地がなんなのかわかったら追加報告いたします!今度は是非晴れた日に行きたいと思います。
そして今度は、「北有馬・西田平八十八か所」
以前のブログでご紹介した、原城歴史民俗資料館の館長に連れられ、西田平八十八か所に行ってみることに。その途中に現在のみなみしまばらを語る上で重要な「八木家」に訪問させていただきました。
(許可を頂いて撮影させていただきました)
島原の乱の後、この地に住む人が殆ど居なくなり、幕命をうけて小豆島から移住してきた由緒ある家。今もその御子孫の方が住んでいらっしゃいます。とても上品なおばあ様にお話を伺い、とても貴重な体験ができました。
そこから、急な坂を上る事約5分。八木家の方が中心となり奉納した「西田平八十八ヶ所」に向かいました。「西有家八十八ヶ所」と違い、1つの山の中に八十八のお大師様が奉納されているそうで、早ければ1時間程度で回れるとのこと。
こんな感じで、ルートが紹介されています。
しかし、9月とはいえその場所は全く人の手が入っていません。ですので、ルートなどはほぼなくなっており、完全に藪の中。
1番札所のお大師様。周りには草が生い茂っています。
顔はかなり凛々しい感じ。
続いて2番札所。きちんと奉納者の方の名前も一つ一つ掘られております。この2番札所より先は道が無くなります。一応、鎌などは持って行っていましたが、とても入れるような状況ではありませんでした。また、蛇がとても多い場所ですので、冬場に彼らが冬眠したタイミングで再挑戦しようと思います。だれか一緒に行ってくれる人いたら、募集します!!
最後に、今も常光寺さんに保存してある貴重な鐘を。
この鐘は、島原の乱の時に幕府軍が使用していたもので、攻撃の合図等を見方に送っていた物。現在、世界遺産登録を待っている「原城跡」その反対側にあまり知られていない「八天宮」という場所があります。じつはその場所は島原の乱における重要な場所で、そこに昔あった「鐘掛け松」という松にこの鐘が掛けられていたそうです。この場所は、本当に幕府軍と反政府軍との最前線で、当時の目線で原城を見ることが出来ます。
上から見ても、とても美しい形をした鐘です。真ん中の龍の顔と、鱗?のようなものと。個人的には龍だな。と思いこんでます 笑
みなみしまばらは、本当に色んな所に色んな魅力が隠されてます。まだまだ先は長そうです。
さて、個人的なことですが、PCが壊れてしまいましたので、修理に出します!!
では、今回もこのへんで。
初めまして。私の母方の祖父の生家が写真の八木家です。現在は母のいとこのお嫁さんが家屋敷を守ってます。実は来週の9月20日に京都のいとこ夫婦と札所の草刈に行く予定です。私は叔母様にお会いするのは56年ぶり。小学校2年から3年の春休みに母に連れられて訪問しました。屋敷の裏山から叔父様が下りて来られた風景は今でもしっかり覚えてます。どの程度できるかわかりませんが頑張りたいと思ってます。
はじめまして!
コメントありがとうございます。
草刈りにいらっしゃるのですね!
私も、はじめてお会いしましたが、とてもステキな方でした。
また、お会いしたいと思っています。
札所は、私もまだ入ることが出来ておりませんので、いつか行ってみたいと思っています!!
西有家にも八十八ヶ所がありますので、ご興味があればご連絡くださいませ。
草刈りは少し大変かもしれませんが、頑張ってくださいね!
油地蔵は爺さんが崇拝してて、20年位前まで毎年正月に詣に行ってました
爺さんが亡くなって、道すらも分からなくなりましたが
久々気になっ検索してたらここに行き着きました。
懐かしいです
しまばらん様
コメントありがとうございます!
20年ほど前まで参拝されていたのですね。
ここは、本当に道がわからずかなり苦労しましたが、いまだに綺麗に手入れをされております。
懐かしさを感じて頂きありがとうございます!